ディズニープラスで 『The Beatles GET BACK』 3話を見終えた…。
なんといっても、こんなにも鮮やかに16mmのフィルムがレストアされて見られるとは!
Apple Corpが気になり検索したメモ…。The Beatlesにファイナンスや株式の知識があったならば…。
NEMSエンタープライズ
■1962年6月26日にブライアン・エプスタインが弟クライブを共同経営者として、ビートルズのマネージメント実務を処理する組織として設立した会社である。
■NEMS(通称=ネムズ)は、ブライアンの父が電気製品の販売するために作った店の名前で、North End Music Stores の略である。後に『NEMSエンタープライズ』は、シラ・ブラック、ビリー・J・クレイマー、ジェリー&ザ・ペースメイカーズ、ビージーズなどとも、マネージメント契約を結ぶ。
■1962年6月にビートルズがパーロフォン・レーベルとレコーディング契約を結び、レコード店の経営を継続しながらビートルズをマネージメントすることは不十分であると判断して『NEMSエンタープライズ』を設立した。父親の助言から弟クライブが株式の50パーセントを保有する共同経営者となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/NEMSエンタープライズ
■Appleコアのスタート
■ビートルズは、1964年の終わりまでに7曲のチャート1位を獲得しましたが、最初に獲得した100,000ポンドは87.5%まで課税され、2回目は98%まで課税されたと当時の公認会計士であったハロルド・ピンスカーは語っています。
■1967年にアップルミュージックをバンドが所有する企業を一つにまとめるために設立しました。ところが、法人の設立により大幅な節税ができたのです。
■このレーベルの最初の役員は、ブライアン(・エプスタイン)の弟のクライヴ・エプスタイン、同じくアシスタントのアリステア・テイラー、NEMSエンタープライズの役員のジェフリー・エリス、弁護士、公認会計士でした。
■1967年4月19日、ビートルズは、グループ、ライヴ、ソロ活動(ソングライティングを除く)を問わず、すべての収入を共有する法的パートナーシップを結びました。この会社は、100万ポンドの株式を発行して10年間、メンバーで共同経営することになりました。
https://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2021/03/06/010000
■アップル・コア(Apple Corps Ltd.)は、1968年にイギリスのロックバンド、ビートルズによって設立された、多角的な会社組織である。設立当初の資本金は200万ドル。最も重要な部門はアップル・レコード。
■ビートルズデビュー前からロードマネージャーとしてスタッフに加わっていたニール・アスピノールが代表取締役を勤めていたが、2007年4月10日アスピノールがアップルを去ったことが発表された。現在の最高経営責任者(CEO)はソニーBMG傘下のレーベル、レガシー・レコーディングスの筆頭副社長をつとめていたジェフ・ジョーンズ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アップル・コア
■1963年2月、ブライアン・エプスタインは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの両者に対して版権を管理する会社を立ち上げることを提案
■1963年1月に発表されたシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」を、元ミュージシャンで音楽出版社「Dick James Music(DJM)」を運営するベテランパブリッシャーのディック・ジェイムスのもとに持ち込み、楽曲を登録。
■1963年2月、ジェイムスはエプスタインを含む3人に対し、版権管理会社「ノーザン・ソングス」を設立することを進言。このときジョンは23歳、ポールはまだ21歳
■設立された「ノーザン・ソングス」の株式のうち、なんと
50%はジェイムスと彼のパートナーであるチャールズ・シルバーによって押さえられており、残りの50%をエプスタインが10%、ジョンとポールがそれぞれ20%で保有する形で契約。
■ノーザン・ソングスと契約を結んだ「レノン・マッカートニー」のコンビは、同社に対して1973年まで年間6曲の楽曲を作曲する義務を負う(10年間)
■1963年3月にはビートルズのファーストアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」がイギリスでリリース
■1965年、株式を公開することで税金を減額できることを知ったジェイムスとシルバーは、ノーザン・ソングスの株式500万株をロンドン証券取引所に公開。
これにより、ジョンとポールの持ち株比率は15%(32万ドル相当、現在の価値で230万ドル・約2億7500万円)へと低下。ジェイムスらの比率も37.5%(80万ドル相当、現在の価値で230万ドル・約7億1300万円)へと変化
■1967年8月、マネージャーのエプスタインが、アスピリンの過剰摂取によりこの世を去ります。
ジェイムスとシルバーは保有していたノーザン・ソングスの株式全てを250万ドル(現在の価値で1700万ドル・約20億円)で放送メディアのATV(Associated Television)に売却
■この売却についてジョンとポールには事前に知らされておらず、両名はそれぞれのハネムーン旅行の最中に、新聞のトップを飾った記事でその事実を知ったというエピソードが残っています。こうしてATVはビートルズの楽曲88曲の権利を保有することとなります。
■ジョンとポールにはATVが版権料として1ドルを得るたびに25セントが支払われる条件(25%のみ)
■ATVは二人が所有している残りの株式を1475万ドル(現在の価値で1億ドル・約120億円)で買い取るオファーを打診しますが、ビートルズ側はこれを拒否。
■1969年、ついに残されていた楽曲提供の義務条項は全て解消する条件をつけてATVに残りの株式を売却。このときの額はATVがジェイムスらに支払った2倍の金額となる573万8000ドル(現在の価値で3600万ドル・約43億円)で決着をつけましたが、これでビートルズの楽曲の版権(正確には「版権を管理するノーザン・ソングス」)は、完全にビートルズのもとを離れることとなりました。
■ジョン・レノンが凶弾に倒れた1年後の
1981年、ATVがオーストラリアの大富豪、ロバート・ホームズ・ア・コート氏に買収された時で、その際にポールのもとにはATVが管理していたビートルズの版権を4,000万ドル(当時のレートで約88億円)で買い戻すというチャンスが到来します。ポールはジョン亡き後のオノ・ヨーコに接触し、費用の折半を提案しますが、ヨーコは買い戻し額は全部で2,000万ドルが相当であると主張したことから、話し合いは不調に終わります。ポールによると、全ての資金を一人で負担することは可能でしたが、仮にジョン亡き後に単独で版権を買い戻すことで生じる「強欲」や「ジョンへの敬意が感じられない」という悪評を懸念したことから、このときは版権の買い戻しを断念したとのこと。
■1984年には(ロバート・ホームズ・ア・コートは、)同社のミュージック部門そのものを売りに出しました。この際にもポールのもとに話しは舞い込んだわけですが、「高すぎる」ことを理由にこれを拒否。ここで名乗りを上げたのが、当時は版権ビジネスを手広く行っていたマイケル・ジャクソン。
マイケルのマネージャーを長年にわたって務めていたジョン・ブランカ氏のもとにATV売却の話しが舞い込んだ時、マイケルはブランカ氏に「いくらかかってもいいからビートルズの版権を手に入れること」と指示。こうしてビートルズの版権はマイケルのもとに移ることとなりました。
■マイケルは2009年にこの世を去り、さまざまな権利関係の動きや、「1978年以前に製作されたコンテンツの著作権は56年後に作曲家の元に戻る」というアメリカの著作権法の定めにしたがい、ポールはビートルズの楽曲の版権を取り戻している段階にあるとのこと。このまま順調に事が進めば、2026年には全てのレノン・マッカートニー楽曲の権利は再びポールの手に戻ることになる
https://gigazine.net/news/20160106-lennon-mccartney-copyright/
■レノン=マッカートニー・カタログの出版権はマイケル・ジャクソン・エステートが所有していたが、今年(2016年)3月はじめに、Sony /ATV が、マイケル・ジャクソン・エステートが保有する50%の持ち分を買い取るべく大金を投じたことが報じられた。
■ソニーは、マイケル・ジャクソン・エステート(遺族会)に対し7億5000万ドル(約840億円)を支払うとされる。レノンとマッカートニーは、1969年にビートルズの楽曲の著作権管理会社だったノーザン・ソングスを買収しようと試みたが、この時、同社の買収に成功したのは英民放ATVだった。
■その後、レノン=マッカートニー・カタログの出版権は、音楽出版社ATVミュージック・パブリッシングが保有していたが、マイケル・ジャクソンが1985年に同社を4,750万ドル(約53億円)で買収。1995年にはソニーとの統合事業に合意し、出版権管理会社Sony/ATVが立ち上げられていた。
https://forbesjapan.com/articles/detail/11743/1/1/1
■アメリカの著作権法の規定で、1978年以前に書かれた楽曲については著作権が成立した日から56年目に原作者は楽曲の権利を取り戻せることになっているからで、1962年にレコード・デビューしているビートルズの場合、2018年からがそのタイミングとなるのだ。
ただし、版権を取り戻すには56年目から数えて2年から10年前までに米国著作権局に申請を行わなければならず、その後、当該楽曲の著作権がいったん抹消され、原作者にすべての権利が返却されるという。そしてポールは昨年末(2015年)にこの申請を行っていたことが明らかになった。
ビートルズの楽曲はレノン=マッカートニー名義になっているため、ポールはその半分だけを取り戻すことになるが、ジョンの持ち分については著作権そのものが無効となる(ジョンの死から70年後)までソニー/ATVが版権を保持し続けるという取り決めがソニー/ATVとオノ・ヨーコとの間で行われたという。ただし、この措置はアメリカについてのみの話で、ポールはアメリカでは2018年以降、楽曲の版権を取り戻すことになるが、そのほかの世界各国では依然としてソニー/ATVが権利を所有したままになる。
https://rockinon.com/news/detail/140947
■ビートルズのデビューは1962年。マネージャーのブライアン・エプスタインと音楽出版社のディック・ジェイムズは、1963年から「ノーザンソング社」を共同設立する。作詞&作曲者であるジョンとポールは「ノーザンソング社」の主要株主となった。議決権は、ディックジェイムズ50% マッカートニー20%、レノン20%、エプスタイン10%。リンゴとジョージは作詞作曲をしていないので関係がなかった。しかし、1964年にはジョージは、ハリソングス社、リンゴはスタートリング・ミュージック社と版権管理会社を独自に立ち上げる。
■税金対策としての音楽出版事業の株式公開
印税であれば90%以上税金がかかるが、株主配当であれば50%以下ということでノーザンソング社は1965年に株式公開する。そして1967年ブライアン・エプスタイン死去。1968年発売のビートルズの「ホワイトアルバム」からはノーザンソング、ハリソングス、スタートリングと音楽の版権が分散するが、レノン=マッカートニーのノーザンソングの作品がメインであることにはかわりがない。
■1969年ビートルズの音楽とマネージメント会社、アップル社がビートルズの放漫経営により倒産の危機に瀕した時、ノーザンソング社の株価低下を恐れてディック・ジェイムズが、ノーザンソング社の少数株主だったルー・グレード卿の経営する英ATV社(テレビ会社でサンダーバードなどの権利を持つ)に株をビートルズに無断で大量に売りぬけた。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kandatoshiaki/20141227-00041845
レコード会社としてのEMIは…
2007年、EMI イギリスの投資ファンド 「Terra Firma Capital Partners」に42億ポンドで買収される。
2011年、シティグループがEMIの全株式を取得。
2012年6月30日、ソニーがEMIの音楽出版事業を買収。
2012年9月28日、ユニバーサルミュージック(テンセント20%)がEMIのレコード部門を買収。
2013年、ユニバーサルミュージックが、EMIの主要部門をワーナー・ミュージック・グループに売却。ビートルズの音源だけは、ユニバーサルとアップル・コアの合弁のカルダーストーンプロダクションズへ移管
2018年に音楽出版事業はソニーの子会社化(Sony Corporation of America)
EMIは、1931〜2012年まで存在したイギリスのレコード会社。
1931年に英コロムビアと英グラモフォン(HMV)が合併し、Electric and Musical Industries Ltdとして設立