【ギター】Gibsonギブソン社、※Fenderフェンダー社の歴史

【ギター】ギブソン社、※フェンダー社の歴史
※はフェンダー社を併記している

【追記】2018年5月2日

米老舗ギターメーカーのギブソン・ブランズ(テネシー州)は1日、連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用をデラウェア州の裁判所に申請した。

債権者の3分の2以上と再建支援で合意しており、楽器製造などの事業を継続しつつ、経営の立て直しを目指す。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180501-00000141-jij-n_ame

ギターのギブソンが米破産法申請

ついにギブソン社がチャプター11
今回の破産法申請時の負債額は最大5億ドル(約548億円)に上る

楽器メーカー、特にギター、ベースギターの生産で知られる米ギブソンが、日本における民事再生法にあたる米連邦破産法11条の適用申請を行ったと発表しました。ギブソンは債権者の3分の2以上と再建支援で合意済みとしており、この申請により「楽器およびプロフェッショナルオーディオといった中核事業を継続し、今後も引き続き設計、製造、販売、製造できる」とのこと。

今回の破産法申請時の負債額は最大5億ドル(約548億円)に上ると報じられています。ちなみにギブソンは今年はじめに経営難が報じられており、その後オンキヨーの株式も売却しています。

ギターのギブソンが米破産法申請。M&Aでティアックやオンキヨー取得も負債拡大
https://japanese.engadget.com/2018/05/01/manda/

1991年、ギブソン社によるフェルナンデス社への訴訟 は敗訴

不正競争防止法

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/312/013312_hanrei.pdf

http://www.sekidou.com/law/lives/unfairc/04?fbclid=IwAR3cruxHb7QXG0VBXHb0ykDryb5Xl7h03FFBzF1B66mkJQ0vIworf8M9NO0

ギブソン社 Gibson

アメリカ テネシー州ナッシュビル
https://ja.wikipedia.org/wiki/ギブソン_(楽器メーカー)

ギブソン社の創業者であるオーヴィル・ヘンリー・ギブソン氏(1856〜1918年)

1894年 ミシガン州カラマズーでマンドリン製作開始

1902年 販売会社としてザ・ギブソン・マンドリン・ギター・マニファクチュアリング 創設
1902年10月11日 社歴は[my-age birthday=”19021011″]年

1920年~30年代にはアーチトップ・ギターのトップ企業

1936年 ES-150 発売

1942年 J-45 発売

1944年 CMI(Chicago_Musical_Instruments)がギブソン社を傘下にする 1944 to 1969

Chicago Musical Instruments
https://en.wikipedia.org/wiki/Chicago_Musical_Instruments

1945年 ※レオ・フェンダーがドク・カウフマンと共に「K&Fマニュファクチュアリング」を設立。
スティール・ギターとアンプの製造を開始 後のFender社

ヴィンテージギター誕生

1949年 ※フェンダー、エクスワイヤー発売
1950年 ※フェンダー、ブロードキャスター発売 プレシジョンベース発売
1951年 ※テレキャスターに改名

1952年 ギブソン レスポール 発売 ミュージシャン、レス・ポールの助言を得て開発

http://www.digimart.net/vintage/article/2013102506/

テッド・マカティーにより設計された『Tune-O-Matic』は6個の各サドルに溝が設けられ、オクターブ調整が可能

1954年 ギブソン・レスポール・カスタム発売


http://www.digimart.net/vintage/article/2013102506/07.html#1954

1954年 廉価版のギブソン ギブソン・レスポール・ジュニア発売

1954年 ※フェンダー ストラトキャスター発売 100本程度

1955年、ギブソン 白黒テレビで映える「TVイエロー」発売

1955年 ギブソン・レスポール・スペシャル

1957年 ギブソン レスポール 1957年モデルから採用された「P-490」ピックアップが搭載
「特許出願中(Patent Applied For)」のシールが貼られていたことからP.A.Fと呼ばれる

1957年 ギブソンの親会社CMI(Chicago Musical Instruments)がEpiphoneを傘下に
https://ja.wikipedia.org/wiki/エピフォン
http://www.digimart.net/spcl/gibson/

1960年代のエピフォンのギターはギブソン社のミシガン州カラマズー工場で生産

1969年まで(ミシガン州)カラマズー工場で伝統的に作られてきたギブソン・ギターだったが、製造工程の機械化と大量生産化のため、(テネシー州)ナッシュビル工場へ移転して品質が変わる。

1984年にカラマズ-工場は閉鎖。

1969年までのエピフォンはギブソン カラマズー工場製 なのでエピフォンのヴィンテージは1969年まで。

1958年 エクスプローラーとフライングV ES-335 発売
スペシャルとジュニアのボディ形状が、それまでのシングルカッタウェイからダブルカッタウェイに変更される。

ギブソン・レスポール・ジュニア徹底分析!

1958年 ギブソン レスポール サンバースト カラー登場
1960年までに1,400本製作
この頃のヴィンテージが世界最高値

http://www.digimart.net/vintage/article/2013102506/05.html#1958

1959年に発表された「ギブソン メロディーメーカー」
http://www.geocities.jp/guitarshop_maro/pages/legends/pages/01.html

1960年 ※フェンダー ジャズベース発売
1960年 ギブソン レスポールのシリーズ 販売不振で全面生産終了

1960年 スクエアショルダーのアコースティックGibson Hummingbird(ハミングバード)発売

1961年 ギブソン レスポールモデル として、ダブルカッタウェイの Gibson SG 発売
SGは、ソリッドギターの略

1962年 スクエアショルダーのアコースティックGibson Dove(ダヴ)発売

1962年 ※英マーシャル社 がJTM45 発売 (フェンダー・ベースマンを参考)
マーシャル社製のアンプの歪みサウンドが、ストラトやレスポールをよみがえさせるきっかけになる…。

1963年 ※山野楽器が日本のフェンダー製品の総代理店になる※2015年に解消。

企業買収、ギブソン、※フェンダー、冬の時代

ギブソンもフェンダーも冬の時代だが、レスポール、ストラトキャスターなどがアーティストにより復興する。

1965年 ※フェンダー社CBSに売却される

1965年 ※ネットワーク局のCBSがフェンダーを1300万ドルで買収
合理化した量産体制にはいり、質より量に価値をおいた
※CBSは多角化のために楽器メーカーの買収に乗り出す。ドラムのロジャース社、レスリー・スピーカーのエレクトロ・ミュージック社、ピアノのスタインウェイ社、オルガンのガルブランセン社、管楽器のゲマインハート社、シンセサイザーのARP社など。

1966年 レスポール、ストラトの復興

1966年 ※フェンダー・ストラトキャスターがジミ・ヘンドリックスのデビューで注目を浴びる。当初は、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズの彼女のリンダ・キース経由で、ジミー・ジェイムス時代にストラトを借り受けて弾いたことがきっかけ。

1966年 ブルースブレイカーズでエリック・クラプトンが1960年製レスポールスタンダードを使用
1968年 ビートルズ ホワイトアルバム ジョージ・ハリソンにプレゼントしたレスポール「ルーシー」でホワイルマイギタージェントリー・ウィープスでソロ演奏

1968年 レスポール スタンダード 復活 ゴールドトップ シングルコイルピックアップ

1969年ギブソン社、ECL社に買収される

1969年 ECL(ノーリン社)社という南米のビールやセメントなどの複合企業が、ギブソンを買収
ギブソンの親会社であったCMI(Chicago Musical Instruments)がその権利をECL(Ecuadorian Company Ltd)へと譲渡したり、
1974年ごろにはそのECLの企業名が変わったノーリン(Norlin)社がギブソンを買収
http://www.ishibashi.co.jp/sale-event/12095

1969 by Panama-based conglomerate, Ecuadorian Company Limited (E.C.L.) that changed its name in the same year to Norlin Corporation.

1969年にノーリン社に買収されてからは状況が激変する。それまで(ミシガン州)カラマズーで伝統的に作られてきたギブソン・ギターだったが、製造工程の機械化と大量生産化のため、(テネシー州)ナッシュビルの新工場への移転が決定。それは、転居に対応できない職人達を残していくことでもあった。その後、長らく続いたカラマズー工場は閉鎖される。
http://www.digimart.net/spcl/gibson/

アコースティック/エレクトリックともトップ企業となったギブソン社だが、1969年にノーリン社に買収されてからは状況が激変する。それまでカラマズーで伝統的に作られてきたギブソン・ギターだったが、製造工程の機械化と大量生産化のため、ナッシュビルの新工場への移転が決定。それは、転居に対応できない職人達を残していくことでもあった。その後、長らく続いたカラマズー工場は閉鎖される。ギブソン・アコースティックの歴史においては迷走期と言えよう。
http://www.digimart.net/spcl/gibson/

1972年 ※レオ・フェンダー、フェンダーの顧問を退任

1974年 ギブソン テネシー州ナッシュビル工場設立
1975年  ナッシュビル工場稼働

ミシガン州カラマズーで創業したギブソン社がテネシー州ナッシュビルへ軸足を移したのは1975年のこと。正確には1975〜1984年にかけて段階的に移ってきました。それ以降、多くのロック・レジェンドの腕にあった数々のレス・ポールもSGも、あの建国記念のファイヤーバードも、一時期はアコースティック・ギターや2000年まではESモデルたちも、このギブソンUSAファクトリーで作られてきました。
http://www.digimart.net/magazine/article/2016032501902.html

1977年、無断コピーしていた日本企業の台頭

1977年 ギブソン社、フジゲン(富士弦楽器製造株式会社1960年創立)社を訴訟。ギブソンやフェンダーのコピーモデルを製造。アイバニーズ(星野楽器)、グレコ(神田商会)なども製造。しかし、フジゲンがすでに日本で商標登録済みでギブソンが敗訴する結果となり、フジゲンがギブソンに商標譲渡で和解。カワイ楽器東海楽器ヘッドウェイ鈴木バイオリンOEMを委託していたフェルナンデスも訴訟されるがギブソン社に勝訴[18]。

1977年 ※フェンダージャパンをフェンダー、山野楽器、神田商会、フジゲンで設立する

1981年 ※CBS フェンダー社の取締役にビル・シュルツ(ヤマハUSA)を招聘

1982年 ※日本製ビンテージ・レプリカブームに始めは静観を決めていた本家フェンダー社であったが、1982年に社運をかけたシリーズとして富士弦楽器(現フジゲン)の技術支援スタッフと共同で自社の旧製品を復刻したビンテージシリーズを発表、ビジネスとしても成功をおさめる。それらごく初期に製作されたビンテージシリーズモデルはフラートン工場(’85年より工場がコロナに移転)にて後のカスタム・ショップのスタッフにより製作されており、既にレギュラーモデルとなった現行のリイシューシリーズとは別格の扱いを受けている。

ギブソンなどと同様に日本国内の偽造品問題を抱えていた※フェンダーは、新たな対策として偽造品を製造する下請け会社に自社の正規品の下請け製造を発注する事で偽物と差別化する計画をする。 それに際し、ギブソン訴訟以降合法的なブランド品販売を模索していた神田商会と富士弦楽器製造との利害が一致し、1982年からフェンダーの子会社「株式会社フェンダージャパン」をフェンダー、富士弦楽器製造、神田商会、山野楽器の共同出資で設立。
フジゲンは、※フェンダーの日本や新興国向け製品のフェンダージャパンやスクワイアを製造することとなった。多くの企業の下請けを行っていたのもあり1983年には世界一のギター出荷量となる。1985年にCBSがフェンダーをビル・シュルツに売却し、工場拠点を失ったフェンダー社から技術支援を求められ、アメリカに杉本眞(現Sugi Guitars)などをはじめとする技術支援チームを送り工場新設を支援した。この工場の建設から完全な可動体制が整うまでの1984年から1987年の間、富士弦楽器製造のOEMによる『フェンダー』ブランドのギターやベースがアメリカ国内で多く流通された。 1986年にフェンダーと富士弦楽器製造の共同開発の新ギターブランドとしてハートフィールドを設立。フェンダー側からはJohn Pageといったフェンダーカスタムショップのメンバーも参加し、現在のオリジナルブランドで扱っている『Elan』などもこの時にデザインされた[3]1987年、フェンダーとの技術協力やアイバニーズの製品開発拠点としてアメリカ支社のR&D Guitar inc.を設立する。また同年にフェンダーとそれぞれ4800万円の共同出資を行い、フェンダーメキシコ社を創業。 1988年にギブソンと和解し共同で日本国内のコピー品対策のブランドとして『オービルbyギブソン』やエピフォンのインペリアルシリーズを設立。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フジゲン

※Fender社は70年代中期~80年代初頭にかけて、大量生産による生産効率と収益性を最優先にしていました。
その経営努力も実を結ばず、経営は悪化し続けた為、CBSは経営陣を一新します。その時トップに立ったビル・シュルツ氏は、クオリティを創業当時のFenderに回帰させる事を目標にし、その中から1982年、現在でもロングセラーシリーズとして販売され続け、評価・人気の高い、ヴィンテージモデルを高いクオリティでリイシューしたAmerican Vintageシリーズ等が登場
http://www.teenarama.jp/84tele.html

1983年 ※フジゲンが世界ナンバーワンのギター出荷本数を記録

1984年 ギブソン、ミシガン州カラマズー工場を閉鎖

1985年 ギブソンの元社員5名がミシガン州カラマズー工場の機材を買取り、Heritage Guitar Inc.を設立
http://heritageguitar.com/
荒井貿易がインポーターとなっている
http://www.ariaguitars.com/jp/items/other-brands/heritage/

1985年、蘇るギブソンとフェンダー 日本企業との再生期

1985年 新生ギブソン社 ノーリン社からギブソンを買収

新体制となったギブソン社は、良質なマンドリンを製作していたフラットアイアン社を買収。同社の工場をギブソン・アコースティックの新たな拠点とした。現在まで続くモンタナ工場の誕生である。ナッシュビルの工場はエレクトリック・ギター用に引き続き運用され、新たなスタート
http://www.digimart.net/spcl/gibson/

1985年 ギブソン モンタナ工場(アコースティック・ギター生産)の誕生 1989年から流通開始
モンタナ州の中のボーズマンにモンタナ工場設立

ノーリン社からギブソン社を買収したことが転機となり、アコースティック/エレクトリックともに“古き良きギブソン・ギター”が甦る。新体制となったギブソン社は、良質なマンドリンを製作していたフラットアイアン社を買収し、同社の工場をギブソン・アコースティックの新たな拠点とした。現在まで続くモンタナ工場の誕生である。ナッシュビルの工場はエレクトリック・ギター用に引き続き運用され、新たなスタートを切ったギブソン社は、高い品質と伝統性を保ちながら、時代に合わせた新モデルの開発にも積極的に取り組み始めた。
モンタナ工場からの出荷が始まったのは1989年。カラマズー工場などから運び込んだ伝統的な製作機具と現代的な技術をミックスさせて製作されるアコースティック・ギターは、厳しい品質チェックを経て今日も世界中に送り出されている。職人の手作業による工程が多く残ることから1日あたりの生産本数は50本程度と決して多くはないが、だからこそ、すべてのギターが“ギブソン・サウンド”を宿しているのだ。
http://www.digimart.net/spcl/gibson/

1985年 ※ヤマハUSAの経営者だったビル・シュルツが投資家PE(プライベート・エクイティ・ファンド)ウエスタンン・プレシディオたちと共に、フェンダー社をCBSからTOB買収する。PEファンド ウエストン・プレシディオが42.92%株主 日本の山野楽器で14.28%を所有、3番目の大株主は同じく日本の楽器卸問屋、神田商会で12.85% 3社で70%のfenderの株式を保有。

山野楽器、神田商会らから支援をうけ、Fender Musical Instruments Corporation (FMIC)が誕生。
しかしCBSはフラトーン工場を売却していたので、フジゲン生産の※フェンダーをフェンダー社が販売。
コピーを製造していたフジゲンがフェンダーの本物を製造するという逆転現象が起きた…。

※フジゲンがフェンダー工場の技術支援 (1984年~1987年)のフェンダーはフジゲンが生産
フジゲンの技術支援のもとコロナ工場を建設

フェンダーUSAエリート・モデル

フェンダーUSAヴィンテージ・モデル

フェンダーUSAスタンダード・モデル

フェンダー・ジャパン

スクワイア

1986年 ヘンリー・ジャスコヴィッツを中心とした共同経営グループがギブソンを買収
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Juszkiewicz

1986年に、HBSのクラスメートだったデヴィッド・ベリーマン(David H. Berryman)やゲーリー・ザブロウスキー(Gary A. Zebrowski)らとともにギブソンを買った時、同社は破産寸前の状態だった。 それは、20年近くにわたって続いた、以前のオーナー(ビールとコンクリートを専業とする、エクアドルのコングロマリット)によるミスマネージメントによる悪影響であったろうし、また安価な日本製品が大量に輸入されたという時代背景にも翻弄されて、ギブソン自身がスタンスを見失ってしまい、本来同社が行なうべきであった業務を遂行できなかったことが原因だった。彼はまず、それまでの経営内容や商品にいたる全てを見直した。
http://moon.ap.teacup.com/betrip/54.html

マホガニー、ローズウッド木材の枯渇

1987年 ※フジゲン、フェンダーと共同でフェンダー・メキシコ設立
新たな工場拠点としてフェンダーとフジゲンでそれぞれ4800万円を共同出資し、メキシコ法人のフェンダーメキシコを設立する。同年にオーダーメイド部門のフェンダー・カスタム・ショップを設立。 1997年にバブル崩壊後、多大な負債を抱えていたフジゲンがフェンダージャパンとフェンダーメキシコの株式を売却し、フェンダージャパンは吸収合併され消滅、フェンダーメキシコはフェンダーの完全子会社となる。

1987年 ※フェンダーカスタムショップ 稼働 カリフォルニア州コロナ工場
1985年にビル・シュルツが最高経営責任者に就任、ビンテージシリーズのスタッフを集めて社内に別の組織として1987年に設立されたのが「フェンダー・カスタム・ショップ」の始まりとなる。
1987年にフジゲンから杉本眞(現Sugi Guitars)ら技術指導チームを招き、ハイエンドを製造する前身の部署が設立された。またスタッフも外部からJohn Suhr、John Page、Larry L. Brooks、Michael Stevensら著名なビルダーを招き徐々に名声を広げていき、現在の形へとなった。あえて古い製法を復活させたり、レギュラーラインには使用されない銘木を使用したギター、長年の使用によって付いた傷や汚れ、錆などを再現し、使い込まれたような加工(エイジング加工)する新たな技術を投入するなど、特別仕様となる。有名ギタリスト本人が使用しているアーティストモデル、及びユーザーから発注を受けた特注品、楽器ショーなどに展示されるワンオフ生産のギターはカスタムショップで製作されている。

1988年 フジゲン、ギブソンと和解「オービルbyギブソン」エピフォンのインペリアルシリーズ設立

1989年 ギブソン、モンタナ工場(1985年設立)からの新ギブソン製品の出荷が始まる。

1991年 ※FMICは本社をコロナからアリゾナ州スコッツデールへ移す。

1995年 ※フェンダー社、ギルド買収(2014年にコルドバ・ミュージック・グループ社がギルド買収)

Fender傘下
Gretsch
Guild
Ovation
EVH

1997年 ※フジゲン、フェンダージャパンとフェンダー・メキシコを売却 フェンダージャパン消滅(神田商会がライセンス認可2015年まで)

2000年 ※フジゲン、トヨタ自動車のウッドパネルを手がける アイバニーズの高級機種や、島村楽器のHISTORYやCoolZをOEM制作開始

2000年 ESシリーズ(セミアコースティック)の生産拠点として発足したギブソン・メンフィス・ファクトリー稼働開始。2005年 カスタム・ショップとして、ヴィンテージリイシュー、カレントモデル、シグネチャーモデル等を製作。2013年よりMEMPHIS CUSTOMとして独立
現在のギブソン製品は、ナッシュビル(レギュラー・ライン、カスタム・ショップ)、モンタナ(アコースティック)、メンフィス(ESシリーズ)と、部門ごとに生産拠点を持つ。

2003年 ※フェンダーが、グレッチを傘下に

2005年 ※FMICビル・シュルツ退任後、メンデロがCEOに就任

2005年 Gibson社はPRS Guitarsを訴え、PRSは、Singlecutモデルを作ること停止。 [19]しかし、第6巡回控訴裁判所は下訴裁判所の決定を覆し、PRSに対するギブソンの訴訟を棄却する[20]。

2006年 12月末日、日本国内の輸入総代理店であった山野楽器と米国ギブソン社との輸入代理店契約が終了。
現在は米ギブソン社直属の日本法人、ギブソン・ギター・コーポレーション・ジャパンが日本向けにモデルを供給

2008年 ギブソン レスポール、マホガニー チェンバード構造で軽量化

2012年 ギブソン レスポール モダン・ウェイト・リリーフ構造 発表

2012年 ※フェンダー社 IPO株式上場を予定したが中止に
プライベート・エクイティ・ファンドの米ウエスタンン・プレシディオ42.92% 山野楽器が14.28% 神田商会が12.85%が出資。
※ウェスタン・プレシディオは複数の企業に出資している…。フェンダー社もその一ブランドにすぎない


http://www.westonpresidio.com/

2012年 ※TPG Growth と Servco Pacific がウエスタンン・プレシディオの持つFMIC(フェンダー社)42.92%の株を引き受ける。
https://www.tpg.com/

Home Page

世界の楽器市場は158億ドルで、このうち米国は64億ドル
フェンダーは米国におけるエレキギター、アコースティック・ギター、アンプなどの分野でNo.1の市場占有率
http://markethack.net/archives/51829735.html

2012年 ギブソン 罰金
ギターのギブソン社、木材の違法輸入で罰金2300万円
米司法省の発表によると、ギブソンはマダガスカルとインドで保護対象となっている黒檀を輸入していた疑いがあるとして2009年から当局の捜査を受けていた。またギブソンは、捜査の過程で約26万ドル相当の木材を押収されているほか、米魚類野生生物財団に5万ドルを寄付することになっている。
http://jp.reuters.com/article/tk0867596-usa-gibsonguitar-madagascar-idJPTYE87603420120807

2012年 ギブソン、オンキヨーへ出資(現出資比率21.5%
2013年 ギブソン、ティアックを子会社化(現出資比率54.4%、ギブソンホールディングスによる出資)。

2014年07月 ギブソン東京にショールーム
https://www.youtube.com/watch?v=mlBKAcSlo6c
名門の米ギブソン、東京から始まる世界戦略
ギター界の巨人が世界初のショールームを開設
http://toyokeizai.net/articles/-/43870

2015年 ※フェンダー(Fender Musical Instruments Corporation) 山野楽器、神田商会契約終了。

2014年5月 ※フェンダー U2のボノとジ・エッジ、フェンダーの役員へ

FMIC(Fender Musical Instruments Corporation)は2014年4月、デジタル戦略の開発を目指し、DashboxのCEOだったボブ・ロバック氏を新社長に迎えている。
https://www.barks.jp/news/?id=1000103995

2015年、フェンダー ※アンディー・ムーニー FMICのCEO就任
ナイキのjust do it ディズニーのプリンセスライセンス、サーフブランド、クイックシルバーのCEOを経て、Fenderのトップに…。

ナイキUSの最高販売戦略責任者を務め、「Just Do It」キャンペーンなどで成功を収める。2003年ディズニー・コンシューマー・プロダクツに移籍、社長職、会長職を務める。2013年クイックシルバー、2015年、フェンダーに移籍。
http://rollingstonejapan.com/articles/detail/24665/2/1/1

2015年 ※フェンダージャパン 2015年3月20日、山野楽器との販売代理店契約を終了し、フェンダーが日本に現地法人を立ち上げることを発表した。4月1日より新たに立ち上げられたフェンダーミュージックジャパン株式会社が業務を引き継ぐ。
https://shop.fender.com/ja-JP/start

2015年3月までは「フェンダー・ジャパン」ブランドとしてライセンス生産をしていましたが、それ以後はフェンダーの「ジャパンエクスクルーシブシリーズ」をダイナ楽器にて生産

グレコ(Greco)のギターについて

2014年 ギブソンブランズ、 オランダの電機大手フィリップスの音響機器部門を1億3500万ドル(約144億円)で買収した。
2015年 ギブソン レスポール オートチューニング機能 G FORCE 搭載

2015年4月1日 米Fender Musical Instruments Corporation が日本法人設立
山野楽器との契約終了
フェンダー・ジャパンの神田商会も契約終了
http://realsound.jp/2015/04/post-2906.html

2018年 2月 ギブソン経営危機がニュースとなる…。

【2月20日 AFP】世界的に有名なギターメーカー、米ギブソン・ブランズ(Gibson Brands)が経営危機に直面している。販売が伸び悩む中、半年後に返済期限を迎えるおよそ400億円分などの債務が負担になっているもよう。債務借り換えの検討に入ったほか、一部製品の販売打ち切りなども計画している。

地元ニュースメディアのナッシュビル・ポスト(Nashville Post)によると、ギブソンは今年8月初めに3億7500万ドル(約400億円)の債務が返済期限を迎えるという。

19日には、経営再建に向けて新しい財務責任者を起用したと発表。投資銀行と債務借り換え案を策定していることも明らかにした。

ヘンリー・ジャスキビッツ(Henry Juszkiewicz)最高経営責任者(CEO)は声明の中で「楽器とプロ向け音響機器の販売は利益を上げており、成長しているが、数年前の数字を依然として下回っている」と説明。

ビジネス戦略見直しの一環で、「フィリップス(Philips)」ブランドの一般向けオーディオ機器事業を引き続き合理化するほか、売れ行きがよくない一部製品の販売を停止する考えも示した。数年以内に債務を完済したいとしている。
http://www.afpbb.com/articles/-/3163159

ギブソン子会社
エピフォンボールドウィン・ピアノウーリッツァーヴァレー・アーツスタインバーガーオーバーハイム

Baldwin Piano
Cakewalk
Cerwin-Vega
Dobro
Epiphone
Esoteric
Harmony Central
Integra
Kramer
KRK Systems
Maestro
Onkyo
Stanton
Steinberger
TASCAM
TEAC Corporation
Tobias [2]

エレキギター好きなオヤジの独り言
http://guitarsound.info/category/guitar-brand/gibson/

※フェンダー社 1946年レオ・フェンダー創業
https://ja.wikipedia.org/wiki/フェンダー_(楽器メーカー)
ウエストン・プレシディオ(42.92%)
山野楽器(14.28%)
神田商会(12.85%)
2011年売上 約7億ドル 売上のうち47%は海外 グロスマージンは31.1% 純利益は1万9千ドル 約2.4億ドルの長期負債
http://markethack.net/archives/51807378.html
売上 173,769,000ドル
アリゾナ州スコッツデール

フジゲン株式会社
長野県松本市平田東3-3-1
売上 50億9千万円(2016年4月期)
http://www.fujigen-customhouse.jp/html/company.html

世界の楽器市場規模は6200億円

世界の楽器市場規模は、約6200億円(13年3月期。卸売りベース)に上り、ヤマハはその中で25%のトップシェアを誇る。中でも、アコースティックピアノ(シェア34%)や、電子ピアノなど電子鍵盤楽器(同50%)は圧倒的な強みを持つ。
実はヤマハは世界唯一といっていい総合楽器メーカーであり、それ以外は、個々の楽器に特化した専業メーカーがひしめいている。
http://wap.bbinfo.cn/ReadNetting/diamondforcolormobile.do?method=lry&id=11323&path=method=type%7Cpageno=10%7Ctype=91

ギタードラム市場は2400億円

https://www.yamaha.com/ja/ir/presentations/pdf/pres-101126.pdf


https://gyazo.com/e01d59d993cdcafb778b634ff39bfa86

間違いなどがあれば、お知らせくださいませ!
kandaknn at gmail.com まで