NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の幼児虐待DVぶりの狙い

遅ればせながら、NHK大河ドラマの「花燃ゆ」の初回を見た。

http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/

毎回、大河ドラマの初回は重要な回だ。初回でこの大河を見続けるかどうかを判断している。

今回の大河は、「松下村塾」が舞台。杉家の面々の幕末ホームドラマという新たな切り口の大河だ。

役者陣が、「龍馬伝」だったり、「仁-JIN-」だったり、「ごちそうさん」だったりと、時折イメージが引っ張られる。

大河ドラマは登場人物が多い、最初に登場人物の関係を認識していると理解しやすい。


登場人物はこういう関係性にある。

さて、初回のテーマを勝手につけると圧倒的な「幼児虐待」だ。

なんといっても初回のMVPは、奥田瑛二演ずる、玉木文之進だろう。

公共放送で、児童がこれだけ虐待されるシーンはまずテレビ番組ではなかっただろう。
演出は、もう、幼児虐待もはなはだしい。DVともいえるだろう。
これは、きっと、非難されることをねらっての演出である。

そう、体罰が当たり前だったのが古き日本だ。
今や、先生が何かするとすぐに体罰問題で殉職してしまうご時世だ。


巨人の星」の、星一徹は、星飛雄馬をどのように育ててきたか…。ちゃぶ台がえしは当たり前。大リーグボール養成ギブスなんてはめさせているだけで、今では「児童虐待防止法」で、「一年以下の懲役か100万円以下の罰金」となる。

地震…雷…火事…オヤジ… そうオヤジというのはそういう怖い存在だった。
先生も同様だ。

それくらいの怖さから、子供であっても真剣に学びとらねばならなかった時代であったのだ。
ボクも幼少の頃だが、ひどいイタズラをしたことがあり、父親にこっぴどく、「折檻(せっかん)」されたことがある。それは、怖さと共に、その大事さをカラダが痛さとして覚えている。

「折檻」と「虐待」は、アクションは同じだが、意味は全く違う。親がストレスを抱えてそれを児童虐待で開放するという精神構造そのものが、貧しくない時代の豊かでない証かしでもある。

映画でもよくクレジットされているような…
※当時の時代背景を表現するために、現在では不適切な演出が含まれています 的な断りもない。

NHKの大河ドラマで、ここまでできるのは、民放は、日本テレビNTV制作の芦田愛菜主演の「明日ママがいない」のように、役名のアダ名の「ポスト」だけで、広告主が全社降りてしまうというようなことがないからだろう。まったくアホらしいご時世だ。

ほんの一部のクレーマーの声を恐れて、無難で問題のない企画しか通らなくなってしまう。だからテレビがますます、つまらなくなる。

ハプニング映像番組はすべて、素人が投稿しているものをYouTubeで見つけ、編集でつないで、スタジオで見せて芸人の大げさなリアクションを届けて3時間も時間をかせぐ…。しかも手垢のついた映像ばかりで、人気ランキングの上からキュレーションしているだけだ。

…そんなシーンの中で、この幼児虐待といわれかねない、シーンを登場させたホームドラマに期待したくなった。

また、初回の「学び」にめざめるCGの演出も、見事だった。

「書」で、悠久の史人からの知恵や知識を学び取れる悦び。読み書き算盤、「寺子屋」というアカデミックの文化、教育ネットワークが江戸時代に日本に培ったおかげだ。

発禁の書でも、新しい世の中、世界の動向を知りたい。

これはいつの世も同じだ。

この間にも、特定秘密法案の事項はますます増えている。
昨年で、10機関で370の案件が指定されている。
きっと、特定秘密にすればするほど、それを暴きたくなるハッカー魂を燃えさせることだろう。

これから、録画の第二話を見てみる…。