職業はナガシマ・シゲオ

Toshiaki Kanda 2004年03月09日 火曜日
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KNNエンパワーメントコラム from 日刊デジクリ
職業はナガシマ・シゲオ

長嶋茂雄さんが、緊急入院されたニュースは、先週日本列島を駆け抜けました。長嶋ジャパンに期待がかかっている時だけに残念…。ぜひがんばって!…という趣旨の報道がたくさんなされた。

しかし、ボクは長嶋さんに、この時期だからこそ、かえってのんびりしてもらいたい。病院にいるときまでがんばらなくていい。そんなボクたちの心配は長嶋さんには絶対に通用しない。長嶋さんは、きっとこの入院をどのようにして、ポジティブにとらえるかに神経を集中しているはずだ。

「いやぁ〜まいりましたね。さすがに今回の入院ですか? 自分の身体との勝負ですからねえ〜。今まで勝ち続けてきましたが、はじめて負けた人の気持ちがわかりましたねえ」

みたいなコメントでもどってきてくれると思います。しかし、アテネ五輪は、将来のNHK大河ドラマ「ナガシマ・シゲオ」のハイライトのシーンになると思うので、この入院シーンはその盛り上がりの章として、「病魔とのはじめての闘い」という新たなライバルが増えた状態なのである。

野球を見ることが大嫌いなボクでさえ、長嶋さんがやっていることだけは野球関係者で唯一気にかかる(新庄選手も最近は気になるが…)。それはなぜだろうか? 組織のリーダーとしての監督であったりするが、あの、なんといっても憎めないキャラクター力であろう。

2002年8月8日「セコムしてますか?」と問いかけるあの有名なCMの長嶋邸に刃物侵入男事件があった。セコムしている長嶋邸に侵入する男もチャレンジャーではあるが、昼間はセコムをオフにしている長嶋邸も、チャレンジャーである。セコムする意味を長嶋邸は、本当にわかっていたんでしょうか? でも、そんなことは、長嶋さんにとってはどうでもいいことなんだ。

TVで長嶋さんを話題にする番組があった。道路で検問をやっている時に、「職業は?」と尋問された時、満面の笑みをうかべて、「職業はナガシマ・シゲオです」といったそうだ。本当かウソかは定かではない。しかし、長嶋さんならそう発言していてもおかしくはない。

それをTVでみた時、いつかは自分の職業欄に自分の名前を書いてみたいと真剣に思った。「ナガシマ・シゲオ」という職業は、長嶋さんにしかできない仕事だ。アーロンにも、ディマジオにも、OJシンプソンにも、いやベイブルースにも、できなかったはずだ。

長嶋さんには、一度だけ会ったことがある。日本で最初のショートタイプのトライアスロン大会が仙台で開催された時の前日のカーボローディング(炭水化物取得)パーティーの席だ。長嶋さんは全日本トライアスロン協会の会長であった。当時、選手として登録していていたボクのもとにも激励の言葉をかけてくれるナガシマ・シゲオがいた。記念撮影も気軽に応じてくれる。本当に「ナガシマ・シゲオ」のプロだ。

代役が気ぐるみをきて、「ナガシマ・シゲオ」をやってくれれば、もっと長嶋さんは、楽ができたはずだ。そして現在、監督業とナガシマ・シゲオ業の兼任の激務中の中であった。むしろすべてのプロスポーツ選手はそれぞれの「お名前+業」がなければ、意味がないのかもしれない。

職人や技術バカは、それでいいが、プロは顧客を満足させるために、旨い、上手、は当たり前、さらにその上の満足度を提供しなければならない。

アメリカに、職業が「モハメド・アリ」という人がいる。ウィル・スミス主演の「アリ」で彼の半生、いや一生を振り返ることができる。MACWORLDというアップルの展示会で、ボクは「モハメド・アリ」という職業をやっている「誰か」と会ったことがある。アメリカで、アリといえば、日本でいうところの「ナガシマ・シゲオ」だ。政治や当時のアメリカ、特にアフリカン・アメリカンに与えた影響といえば、長嶋さんですら真似できないだろう。

しかし、病魔パーキンソン病にむしばまれた彼は、偉大なる偶像としての「モハメド・アリ」のボディを動かすだけしか今はできない。隣の奥さんが「アリ、スタンダップ」「アリ、ターンバック」「アリ、ハンド、ハンド」と小声で指示していたのだ。会場はすべてスタンディングオベーション! アリにリスペクトの拍手が会場中に炸裂する。「アリ、シットダウン・プリーズ」で「モハメド・アリ」の仕事は終わった。座ったあとに、キャンディーをアリの口にほうりこまないだけ、まだましであったが、ここまでして、職業としての「モハメド・アリ」を演じさせる必要はないのではないだろうか?

「ナガシマ・シゲオ」にも、老いは訪れるだろう。しかし、「モハメド・アリ」のようになってまで「ナガシマ・シゲオ」でいる必要はない。ナガシマ・シゲオは永遠ではない。また、いつかは「ナガシマ・シゲオ」そのもののユニフォームを脱ぐ時がくるだろう。

結果と数字がすべてと言われる企業社会。「ナガシマ・シゲオ」という価値は、数値で測れるものではない。しかし、日本中をすべて「やさしい気持ち」にし、「心配させることができる男」は、「ナガシマ・シゲオ」という職業をやっている長嶋さんだけだろう。

日本の皆さんん、入院している時くらいは「ナガシマ・シゲオ」を休ませてあげてください。

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