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地球の男に飽きたところよ

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作詞家の阿久悠(あく・ゆう)さんが2007年08月01日に亡くなられてから、テレビで追悼番組を多く見るようになった。
阿久悠さんといえば、昭和の時代を代表する作詞家であることは、よく知っていたが、インタビュー番組をこれだけまとめて見る機会は今までなかった。特にBS NHKではヘビーローテーションであった。もっと阿久悠さんのことを知っておくべきだったと今更ながら後悔した。ビジネスのヒントをいっぱい持っている人であり、商業クリイエイター
として、また、人間や社会の観察者としての業績をいまもなおたくさんウェブサイトで残していってくださいました。

阿久悠さんの英知は、オフィシャルホームページ
http://www.aqqq.co.jp/
に残されており、これからは偉人の業績をウェブサイトで堪能できる時代へと進化していくと感じました。

阿久悠さんは、いつくかの番組の中で、歌も小説も「あなたから私の時代へ変わった」と語っています。相手がいる関係性から自分だけで完結してしまった時代へと変わってしまったと嘆いています。また、「歌は世界の扉を開ける事から、自分の部屋や身近な世界を唄う世界」へと変わったと…

「あなたお願いよ 席を立たないで(岩崎宏美 ロマンス)」
「あなた変わりはないですか?(都はるみ 北の宿から)」

1970年代 時代が元気な時代だった。歌は時代を反映するものであった。今、大ヒットが生まれない時代、「時代」がもはや、社会全体で共有できない時代なのかもしれない。それだけ、今度はロングテールで細分化された、新たな時代をクリエイターは、表現しなければならないのである。

阿久悠さんがイメージしているのは常に映画の世界であった。詩によって映画の世界を演じてもらうことであった。実際の歌手を、2~3年大人にして、阿久悠さんの映画の世界で演じるのである。

「映画を2時間作るのではなく、3分間で映画と同じような感動を与えることができる」と言い「映画を作るには何億円もかかるが、歌はたった原稿用紙二枚で表現できる」と語る。
阿久悠さんの映画は、ロングショット、バストショット、アップ、そしてセリフ、そしてまたロングという映画のカメラの世界で歌を表現する。

「上野発の夜行列車降りた時から、…連絡船に乗り…凍えそうなカモメみつめ…(石川さゆり 津軽海峡冬景色 作曲三木たかし)」
「壁際に寝返りうって…あばよとさらりと送ってみるか…もどる気になりゃいつでも…(沢田研二 勝手にしやがれ 作曲大野克夫)」。

たったの2行で、上野と青森の600kmの距離を進めたり、たった30cmの男と女の距離を永遠の距離にしてしまったり自由自在にシーンが変化する。二行おきに場面が変化しながら阿久悠さんの映画は進行していく。

さらに、女性のパワーの象徴として、「困っちゃうな(1966年)」の山本リンダが、「どうにも止まらない(1972)」で圧倒的な再デビューを果たす。

「シームレスストッキング」は女性の解放につながり、「フロントホックブラ」が、女性に主張を与えたいう時代の流れを掌握しているからこその大ヒットとなった。
http://www.aqqq.co.jp/ningen/ningenkouza10.html
この時代の空気を読み取り、さらに次の時代へと拍車をかけるべき、創造力に見習う部分は多い。それがすべて自分の脳内と2枚の原稿用紙で表現されている。

そして山本リンダの1970年代初頭のブレイクは、ピンクレディーによって70年代後半へと受け継がれていく…。

今までの舞台映えするような歌手ではなく、もっとそばに寄れるテレビカメラの時代による歌手を民主的に選ぼうということで「スター誕生」という番組が1971年に生まれた(1983年までの12年間)。阿久悠さんは企画と共に審査員を担当。スカウトや他薦ではなく、封書で誰もがスターになりたいと立候補できるという画期的な番組であった。

いままでは密室の中でおこなわれていたオーディション風景を、そのまま社会と情報共有してしまった番組だ。テレビという、歌手の「素」を映し出すメディアの登場により、舞台や映画よりも、もっと身近な歌手、性格や人間性をデビュー前から露出することが重要だと考えられ企画された。

そして、スター誕生から「白い風船」というフォークソングデュオの女の子たちがデビューすることとなった。阿久悠さんと作曲家の都倉俊一さんは、レコード会社の反対を押し切り、フォークではなく、新しいポップデュオとして彼女たちを「ピンクレディー」と命名する。

作家 VS レコード会社という初のクリエイターのチャレンジが展開された。

ターゲットは中高生から少し奥手の大学生、ちょっぴり健康的でHな要素を秘めた「ピンクレディー」がデビューとなった。
大ヒットのメインの顧客はなんと小学生であった。中ヒットは予測できるが、大ヒットは予測外のところで動いていると都倉さんは語る。大ヒットを生みだすためにボクたちは働くのではなく、楽しく作り、おもしろく、いいものを作ることが結果として、時代とシンクロして大ヒットにつながる。と阿久悠さん。

デートの途中に乱入する落語「くしゃみ講釈」と、昭和31年曽根史郎の「若いお巡りさん」「もしもしベンチでささやくお二人さん」、そしてピンクパンサーのクルーゾー警部のマッシュアップが「ペッパー警部」であった。

ただ、一点大きく違うところは、ペッパー警部に対してカップルが返した言葉が「私たち、これからいいところ」という意味深な言葉であった。これが新しい時代を象徴していた。
UFOにおいては「地球の男に飽きたところよ」とピンクレディーに言わせたことだ。

阿久悠さんは、ピンクレディーの仕事で、「一曲ごとが万博のパビリオン」を想定していた。子供のころの記憶の引き出しをひもときながら、想像のパビリオンをピンクレディーで実現していく。

透明人間現る(1949年大映 円谷英二特撮)」を12歳に見た時の疑問「現れないのが透明人間です」をピンクレディーの歌によって回答した。

日記帳の見開き1ページに手書きで、その日の株価からスポーツ、事件などを書き込み短歌にしている。
ニュース詩

これらの日々のストックが、新しい作品の原動力となっているのはいうまでもない。
また、今回の死因である癌についても、詩が残されていた。

「神様が休暇をくれた そう思おう」
癌とテロリスト
2001年に宣告され、6年もの間 癌と闘ってきたことが、このオフィシャルサイトでわかりました。

報道だけではなく、故人の訃報を際して、ネットでクリックしていくだけで、その人の人生を振り返ることができるこの時代に感謝です。
しかし、文字だけでなく、著作も購入することができますが、楽曲としての映像やテレビ番組が購入できたりすることも、そろそろ考えておく必要があります。

テレビの追悼番組が可能なのですから、期間限定、追悼番組ダウンロードというようなビジネスモデルもそろそろ考えてもいいような気がします。

共有されない時代だからこそ、時代を共有できる術を残さなければなりません。

阿久悠さんオフィシャルホームページ
http://www.aqqq.co.jp/

「阿久悠」wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%B9%85%E6%82%A0