メディアよりも良心のありすぎる世論のつまらなさ

めちゃイケ 小保方氏ネタ放送されず

ジテレビの公式サイトでは、同番組の次回放送予定の欄に「阿呆方さんが緊急会見涙目で○○はあります」と記載。小保方氏を思わせる衣装とメイクを施したタレント・重盛さと美が「あります!」と訴え、頭をはたかれるシーンがあった。

一般人をネタにしたコントに批判が寄せられたようで、公式サイトでは「阿呆方さん」が「渦中の女性」に変更され、3日までに「‐涙目で◯◯はあります」の告知部分は削除されていた。
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/05/03/0006930373.shtml

考えてみたらメチャクチャな企画。

しかし、昔であれば、テレビって低俗だなぁ…で終わっていたことが、今や、一気に、ソーシャルメディアによる衆人環視にマスメディアでさえ、こわばる。

芦田愛菜主演のドラマ『明日ママがいない』の「ポスト」の時も、そうだった。
スポンサーがすべて降りてしまうという事態にまで至った。

日テレ『明日、ママがいない』主演・芦田愛菜のあだ名「ポスト」に批判殺到→次々とスポンサーCM中止に
http://matome.naver.jp/odai/2138986310362046401

倫理上、逸脱した行動に対しては、総バッシングというか、火炙りような攻撃を受ける受ける。
かつては、そんなことは対して話題にならなかった。

学生がバイト先で、冷蔵庫に入って写真を撮るなんておふざけは、かつては常識だった。もっとひどいことをしていた自信がある。しかし、もはやその写真が拡散されるだけで、店舗が閉鎖に追い込まれる。

なんだか、世知辛いを通りこした監視社会。いや体制ではなく、自分たちの側だから『逆監視社会』だろう。

なぜに、自らをここまで律して、聖人君子でないと生きられないような世界にしようとしてしまうのだろう。

結局、ガス抜きできない人たちが、もっと大きな反社会的な行動にでてしまう気がする。

どこか、ネットにおける隣組や、五人組五保制のような仕組みになってしまっている。

自分たちの仲間から隠れキリシタンがでようものならば、全員が罰せられるから互いに疑心暗鬼となり監視を強める。

今や、ネットで、少しでも倫理的におかしければ、無尽蔵に叩き潰すという「隣組発想」は非常に危険な思想のような気がしてならない。

ドッキリカメラも、一般の人にしかけるから面白いのだ。
それをリアクション芸人にしかけて、どこが面白いのか理解できない。

今やドッキリカメラを街中でやろうものなら、訴訟やらスポンサーがCM降りるなどいろんなことが発生してしまう。

かつての11PMやら、ギルガメッシュナイトでは、23時以降は乳房があふれていた。

現在、映画ですら、乳房がでるシーンはテレビでカットされる。

社会全体が、きれいなきれいな、お花畑のような世界だけを望んでいたのだろうか?