ザッカーバーグは、宙を仰いで、口をポカーンと間抜けに開ける人ばかりと考えているのだろうか?

「動画の次に没入型の3Dコンテンツが来るのは明白です」ザッカーバーグ氏はすでにその先を見ている。その視線の先にあるのはヴァーチャルリアリティ(VR)だ。フェイスブックは2014年、VRの新興企業であるOculus VR社を20億ドルで買収した。同社の製品「Oculus Rift」は、2016年はじめから販売が始まるとみられている。とはいえ、現在のフェイスブックでは、いまはまだ、動画がニュースフィードの中心にある。ユーザーたちは、同社の製品を1日当たり約46分間使っている(ただしこのデータは、2014年10月に同社が160億ドルで買収した(日本語版記事)「WhatsApp」は含まない)。

情報源: 「じきに人は、VRをシェアし始める」ザッカーバーグ語る « WIRED.jp

 

HMDは人類をゾンビ化する

ボクは、新世代のVRに多いに期待を寄せている1人である。ポールマッカートニーの360度にわたるLive and let die をSamsung GearVRで観た瞬間に新たなVRの未来を感じた!

しかし、一番大事なのは、これをかけて別世界に没入している際の、「心ここにあらず」な己の肉体の見られ方だ。

3D映画を欠けている観客の3Dメガネは自分の目を覆ってのサングラスモードだ。それでもかなり異様な様相である。

それが、HMD(ヘッドマウントディスプレィ)となると、まるでゾンビのようなおぞましい状況になる。

宙を仰いで、手を動かす。足を動かす。その様相は、自然界ではまず目にすることがない異様な動きだ。まるでゾンビそのものなのだ。

ザッカーバーグは、テクノロジストだから、セカイがこんなゾンビ化してでもヴァーチャルワールドで[Second Life]のような世界になっても良いと思うだろう。

しかし、ボクは嫌だ。少なくとも ブルース・ウィルスの映画「サロゲート」のように操作している人間の姿は一目にさらしたくない。

…となると、このVRのニーズは、お一人様カラオケの「ワンカラ」のような場所が一番、想定しやすい。ネットカフェもありだろう。
ワンカラならば、アーティストと同じステージで一緒に唱うなども可能だろう。武道館で唱うということも可能となる。これはビジネス化しやすい。

少なくとも、VR中の荷物の盗難という最低限のセキュリティは必要かもしれない。
HMDの新体験と進化、セキュリティ面や社会への浸透は、同次元で検討されなくてはならない

街なかをGoogleGlassで歩かれても、異様なのにHMDで歩行はありえないだろう。米国では白マスク姿でも怖がるくせに、HMDで歩かれて怖くないのだろうか?(笑)