アメリカと違って、アナログ停波には、日本はまだ888日も余裕があると思われているようだ。
「あっちこっち地デジ」というコマーシャルをよく見かける。
「あっちこっち地デジ」なんて、自分だけが取り残されるのはイヤでしょうと考えているのが見え見えである。実は、意外にあっちこっち地デジでも生活に困らないからメッセージが到達しない。
さらに、「地デジヨシ!俺ツヨシ、」というメッセージも不可解すぎる。
つまり大半の人にとっては、日本のTaspoと一緒で、タハコを買うのが不便になってはじめてアクションすると安易に想像がつく。
テレビが映らなくなってから、大半の人は、はじめて動き始めるのだ。
また、これには、電波の希少価値や公共電波の有効利用という点を、しっかりと広報してこなかった責任もあると考えられる。ウワベのユーザーベネフィットばかり訴求してきた弊害でもある。
地デジでハイビジョンでキレイだとか、デジタルだからサービスが良くなるというだけで、メッセージは伝わっているのだろうか?一番伝えなければならない人は、ハイビジョンやEPGなどのサービスに必要性を感じていない人なのである。
例えていうと、ウチの父親なのだ。
ウチの父親は、テレビが映らなくなったら困るけど、それまではアクションを全く起こしそうにない。
もっと限りある電波を譲っていただくという必要性を訴求しなければならなかった。
これほど携帯が利用されるとは思ってもいなかったというべきだろう。
電波を譲るとどれだけエコにつながるかも教えてほしい。
テレビに電波を使わせるよりも、携帯や通信に使ったほうが効率が良い。
そのほうが電波でも、しっかりと儲けられる。そしてそれが、国益につながる。
という本音も出してみてはどうだろうか?
例えていうと、道路の区画整理をしたいので、立ち退きの協力をしてほしいというスタンスではないだろうか?
ウチの父親にしたら、「あっちこっち地デジ」は、「あっちこっち道路」と言われているのとまったく同義語だろう。その答えは 「で?」なのである。
道路ができると、交通量が増える、商売が儲かりまっせ!というメッセージが必要だろう。
実際には道路が広くなって、高齢者の往来がすっかり減ってしまったが…。
電波の区画整理の重要性をもっと訴求しなければならないのではないだろうか?
儲かった電波利用で、何をエンドユーザーに還元できるのか?
できなければ、わざわざ区画整理に協力する必要性を感じないというのが人情ではないだろうか?
空いた電波帯の有効活用して、ユーザーがどれだけ得をするのかというメッセージを今送らないと、アメリカの二の舞に成ってしまうような気がしてならない。