政治に「政治哲学」があるように、「セキュリティ技術」にも、技術オリエンテッドに偏らない「セキュリティ哲学」があるべきだと思う。
セキュリティが重要なのではなく、セキュリティを暴く側の2種類に問題がある。
一つ目は、セキュリティの甘さをハックによって社会に示唆するハッカー。
そしてもう一つは、それを悪用して、社会を混乱させ、金品以外にも自己満足を形成するクラッカータイプ。
前者は良しとして、困るのは後者。
後者が、心理的に抑止したくなるような方法を考えたほうがセキュリティを強めて全体がアンユースフルになるよりも、よほど哲学的なソリューションだ。
電子メールとパスワード
この2つの組み合わせが、すべてのセキュリティだった時代ではない。
しかし、人間の記憶力の限界だ。ウェブのすべてに指紋認証を取るのは、スマホ以外では不可能だ。
万延する詐欺サイト。一度でもひっかかった人は、ECで二度と商品など買いたくなくなる。Amazon.comでさえ、堂々と偽物が販売されている。問題はそれが偽物かどうか証明することの難しさだ。
返品方法もamazonが販売していない「amazonマーケットプレイス」では異なる。
プラスティックでできた単純なクレジットカードが、64年間も担保され続けてきたのは、ショップ側を厳選するアクワイアラーのおかげだ。
ネットの世界では、アクワイアラーもイシュアーもいない自由な世界だ。この自由な世界の秩序を守るためにも、セキュリティを強固で堅牢にするだけでなく。
世界的な振込口座のイノベーションや、異議申し立ての第三者機関の設置などがユーザーを守るためには必要だ。
また、国家間においてのセキュリテイに関しても、各国ごとのローカルな法律では意味がない。
全世界レベルでのサイバーセキュリティ法が必要だ。
世界的なインターネットにおけるセキュリティにおける法律。いや、最小公倍数的な問題解決の取り決めは早期にモラルやマナーや指針だけでもうちだすべきであろう。
少なくとも、セキュリティ業界が牽引して、売上を競うだけではなく、未然に防げるアイデアは自由闊達に議論すべきだ。
見えない敵国、いや見えない個人とも戦うために、リアルな国家間での取り決めも早期におこなう必要がある。
エストニアのような、政府がなくなってもセキュリティが残る国も登場してきた。
セキュリティ問題は、決して、便利さと危険がトレードオフの関係になっていてはいけない。
Apple Payは世界をエストニアにできるのか?
https://4knn.tv/apple-pay-a-world-that-is-in-estonia/
人口130万人 エストニアから税理士や会計士が消滅した理由
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141029-00000004-pseven-int