空手の何がそんなに楽しいの?の答えのひとつ
空手道場に行き、空手衣を身に付け、帯を締める。
そんな当たり前のことも、身の引き締まる思いがするのです。
そして私個人としては、空手衣を身にまとうことは、日々の生活から別世界に入ってきたような感じになります。
サラリーマンとして働いて、疲れて、ストレスを貯めている日々からその時ばかりは解放されるわけです。
こちらのブログを拝読して感じたのが、道着と帯は『変身』の道具なのかもしれませんね。ここにも同じような考え方のかたがいらっしゃいました!
『道場』という特別な場所にはいり、必ず『十字』を切り、『押忍』と例をする。
白い道着に着替えて、帯を締める。
道場の『神前』に礼をし、『着座』して、『黙想』する。
『礼に始まり、礼に終わる』
『相手にリスペクト』
『先生に…先輩に…お互いに…ありがとうございました!』
の気持ちが、常にスタンダードに宿る。
自分を律し、高みを目指す、それぞれの個人の個性に合わせて指導してくださる先生たち。そして、帯の色に基づいたヒエラルキーもわかりやすい。
年齢や男女とか体格などまったく関係のないわかりやすい。先輩後輩。
『帯色』にはその帯色にふさわしい『技術』が求められる。たとえ、『帯び下』の後輩い対しても、自分の課題をしっかりと行う。
空手は相手があって、はじめて成立する。相手がいない『型』でも常に、相手を想像しなければならない。
鏡に映る自分の姿ではなく、鏡に映る自分を相手として意識する。
鏡は正しい姿を映し出してくれるが、鏡がないところでそれができないと意味がない。
鏡なしで、自分がしっかりと立てていることが重要で、鏡はそれを正す時に見るもの。
いろんな学びを『空手』は教えてくれる。
何よりも、毎月の月謝で、これだけ何度も参加ができ、仕事以外の仲間が増え、人生の目標が見える。怪我もよくやらかすけれども、毎回、汗だくになりながら、スポーツの高揚感がえられた上に、精神的にも強くなる。怠惰な自分を律するために必要な『習慣』となっている。