エニグマの解読で著名なアラン・チューリングが、不思議な物語『エレホン』について言及している。
1951年、アラン・チューリングは人間を知的能力において凌駕する機械について述べている
機械が思考する方法がひとたび確立したならば、我らの如きひ弱な力はすぐに追い抜いて行くだろう。… 従って何らかの段階で、丁度サミュエル・バトラーがエレホン(en:Erehwon)の中で描いたように、機械が実権を握ることになると考えねばなるまい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/技術的特異点
機械やコンピュータに恐れを抱く感覚は、昔も今も変わらない…。
写真機が登場すると、魂が抜かれる…。機関車が登場すると細胞が溶ける…。いろんなデマが飛んだ。
しかし、何よりもすごいのが、それを使いこなす人間の貪欲な点だ。
2045年、シンギュラリティで機械やコンピュータやクラウドが人間の知能を越えた時、人間はそれを見事に使いこなすことだろう。判断や処理はまかせて、決断する権利だけを駆使するはずだ。論理を超えて、支配したがるのが人間だからだ。
アラン・チューリングをテーマにした映画
『イミテーション・ゲーム』
サミュエル・バトラー『エレホン』とは…?
「サミュエル・バトラーの名は多くのレゾナンス(反響)を呼び起こす」とアンリ・コルバンは書いています。19世紀後半の英国の自由主義思想家という全く興味を引きそうにない文脈で語られるからといって、その言葉を軽視してはいけない、と。
バトラー(1835~1902)はヴィクトリア女王の治世(1837~1901)とほぼ同時代を生きました。その代表作『エレホン』(岩波文庫・山本政喜訳)は英国がその国力の頂点に達した頃、1872年に出版されました。
http://saiki.cocolog-nifty.com/shoka/2008/05/post_cc06.html
現在、日本語では読めないのが残念だ…。