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ピュリッツァー賞を受賞した写真も児童ホルノ法案の対象になってしまうのか?

ベトナム戦争の悲惨さを描いたピュリッツァー賞受賞写真

AP通信のベトナム人カメラマン、フィン・コン・ウト氏の作品


1973年:フィン・コン・ウト (AP通信)、「戦争の恐怖」

しかし、この写真も児童ポルメ法案の規制となると、このように修正を施さないといけないのかもしれない。

しかし、これだけでも不十分で着衣でないと問題とされるかもしれない。

 

わかりにくすぎる児童ポルメの定義

また、法案の定義が…
「現行法の児童ポルメの定義の中に
「衣服の全部または一部を着けない児童の姿態で性欲を興奮させるものの姿態」という。

しかし、定義が曖昧かつ客観性がないため何が児童ポルメなのか、はっきりしない。

ある人はこの写真を見て、児童の姿態で性欲を興奮する輩もいるかもしれない。

少なくとも…報道といミッションを考えた場合、この曖昧な定義で、危ないのはナシ!という判断が一番危険かと思う。法律は誰から見ても、白黒はっきりしていないと、「表現の自由」が常に、「恐れからの不自由」になってしまうと思う。

 

キム・フックさんの背中は、時代を超えて戦争の酷さを物語る

被写体となった被害者の、キム・フックさん

そして、現在のキム・フックさん

「彼女の体験がどれほどのものだったのか、想像もつかない。だけど、とても美しい写真だと思う。彼女のやけどの痕と、美しい赤ちゃんとの組み合わせに、将来の希望が見出せる」
17回にも及ぶ手術を受け奇跡的に生還したキム・フックさんは、1992年に結婚され2児の母になりました。未だ痛むというただれた腕で我が子を愛おしそうに抱くその様子は、戦争が悪だということをハッキリと我々に訴えかけます。
「歴史の本で何度も何度も写真を見たよ。けれどこんなに傷が残る火傷をしているとは、まさか思いもしなかった」

1996年には火傷手術を施してくれた外科医と再会し、カナダ国籍を取得した1997年にはユネスコ親善大使に就任。2010年には、空襲に惑う彼女を救った、当時イギリス・ITNテレビ記者のクリストファー・ウェイン氏との再会を果たしています。

http://whats.be/112128

一枚の写真、そしてそこから時を経た写真を観ることによって、戦争の悲惨さを彼女の背中は物語る。

戦争の一番の悲劇は、民間の罪なき人々を巻き込んでしまうことにある。

 
三流イエロージャーナリズムで財をなした、ヨゼフ・ピュリッツァーの貢献はこういう正義のジャーナリズムを肯定することによって、浄化されたのだ。


1969年:エドワード・T・アダムス(AP通信)、「サイゴンでの処刑」


1966年:沢田教一(UPI通信)、「安全への逃避」
 

 

軍人の代表選手たちが勝手に戦えばいい…

各国の首脳と軍人がなんらかのルールにのっかりどこかのスタジアムで、勝手に勝敗決めるべきだと思う。民間を巻き込んでの結果を示しても恨みの連鎖を生むばかりだ。

国連や国際的な組織は、「戦争」をルール化し、経済的措置や経済価値の遷移、そしてイデオロギーも含めて宗教や文化的側面も、になう民間をまきこまないルールを講じるべきだ。
少なくとも民間人がいるところを攻撃できないとするか、それを破ったものは、極刑を世界的に認められるなどのシミュレーションはすべきだろう。そして、それは国レベルでなく、テロに関しても同様だと思う。

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