日本のネクタイ売上の2割を占めるのはなんとダイソーだった カンブリア宮殿

このふざけた社長があのダイソーの社長だ。

壮絶な矢野博文社長の半生。

1943年4月19日生まれ[my-age birthday=”19430419″]歳

❏妻の実家のハマチ養殖業を継いだが3年で倒産、700万の借金を負い夜逃げ[その後、セールスマン、ちり紙交換、ボウリング場勤務など、9回の転職を重ねた後1972年、雑貨をトラックで移動販売する「矢野商店」を創業した。移動販売とはいわゆる「バッタ屋」と呼ばれる販売手法で、倒産した企業や資金繰りが苦しくなった企業の在庫品を格安価格で買い取り、安値で売る商売である[4]。スーパーの店頭や催事場、公民館前の空き地などで商品の陳列、補充、会計までを一人で行い、会場を移動しながらこれを続ける。その後均一価格での商売に弟子入り。当時「100円ショップ」という概念はなかったものの、100円など均一価格での商売は既にあった。矢野の場合は値段を元々100円以外も付けていたが、忙しくてラベラーが間に合わず、100円均一にしたという。
❏大創産業はダイエーに6割の商品を卸していた。ところが、あるとき中内功オーナーが「催事場が汚くなるから、ダイエーグループは100円均一の催事は中止する」と言ったという。そこで矢野はどうしたら会社が潰れなくて済むかと考えて、ダイエーの客が流れるところに100円ショップを作った。これが常設店舗による今日の形態の100円ショップの始まりである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/矢野博丈

このふざけた社長があのダイソーの社長だ。
成功や成長よりも、潰れないことばかりを考えて経営しているのが特徴的であった。なんども破産した経験だからこその経営哲学。100円ショップにはリピーターはこない。だから新製品を月に700アイデムを30人のバイヤーが担当する。平均しても1人のバイヤーが月に23点も手がけている。毎日1アイテムは商品開発していることになる。たかが100円されど100円。

バナナのたたき売りから、ちり紙交換、夜逃げ、倒産、放火火事…と運命の女神に裏切られ続けたからの人生。

ここまでついていない人はそんなにいない…。しかし、あきらめなかった人はそこから這い上がれたことを証明してくれる。

そのどん底からの「ヒント」は、突然やってくる…。

焼け残った工場からの製品を、処分すべく並べていたら…主婦からいくらですか? の質問。その売価を調べているよるもすべて100円としたところ、買い求めが殺到。

値段をつけている時間がなく、すべて「100円」の価格戦略が生まれた瞬間であった。

そこからの、「安かろう悪かろう」との戦いが、現在のダイソーにつながる。

 

売上4200億円 世界 5050店舗(国内3150店舗 +海外1900店舗)

 

 

ネクタイ売上年間200万本。

日本のネクタイ売上の2割を支えているのは100円均一の「ダイソー」だった。

 

圧倒的な4200億円でナンバーワン

 

編集後記 postscript まったく同感!

登場するゲストは、共通して優れた業績や理念を持つ。だが、「面白い」と感じるゲストはそう多くない。矢野さんは、面白かった。「希望よりも不安を大切にする」と明言する100円ショップのチャンピオン、要は「不安に耐えるだけの力がある」ということだ。「仕事人生は苦い思い出ばかり」らしいが、「客が驚き、喜ぶのを見たい」という思いで、ダイソーは数え切れない危機を乗り切り、生き残って、業界トップとなった。言動は多少ユニークに映るが、矢野さんは、実は非常にシャイな人で、かつ価値観は普遍的だと思う。
不安に耐える力とアイデア 村上龍

TV東京 カンブリア宮殿
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2018/0118/

TV東京ビジネスオンデマンド

月額500円でTV東京の経済番組約4年分のデータベースが見放題。
海外でもVPN経由すれば視聴できる。

http://txbiz.tv-tokyo.co.jp/bod/index.html