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小林一三が創ったもの阪急、宝塚、東京宝塚→東宝、カレーライス、ソーライス、松岡修造、


放送90年ドラマ
「経世済民の男 小林一三」
http://www.nhk.or.jp/dsp/keisei/ichizo/

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小林一三が創ったもの

https://ja.wikipedia.org/wiki/小林一三

アイデアと実行の男、小林一三(いちぞう)
宝塚から東宝に至るまで。

東京に創った、演劇、映画の興行の株式会社東京宝塚劇場から、1932年 映画会社の『東宝』が誕生。
https://ja.wikipedia.org/wiki/東宝
1943年からは、映画の製作・配給・興行および演劇興行の一貫経営。
黒澤明作品、ゴジラシリーズなどを製作。
1959年には、ニッポン放送文化放送、松竹、大映と共にフジテレビを開局

小林一三の孫、松岡功(いさお)は東宝名誉会長。次男はテニス協会でタレントの松岡修造。松岡修造は小林一三のひ孫。
松岡修造のサービス精神は、きっと小林一三の血をうけついでいると思う。

サントリー食品インターナショナル鳥居信弘社長も小林一三の曾孫にあたる。

庶民のおばさん感覚に寄り添った経営者

阪急電鉄 1907年 箕面有馬電気軌道が、宝塚本線 箕面線を開業。

小林一三が、住宅地分譲、宝塚新温泉、宝塚唱歌隊事業を発明。1910年

「大衆向け」住宅の発想があったのか、サラリーマンでも購入できるよう、当時はまだ珍しかった割賦販売による分譲販売を行い成功を収めた。

宝塚歌劇団 1914年に初の公演
https://ja.wikipedia.org/wiki宝塚歌劇団
「宝塚歌劇は良家の子女に高等なる音楽教育を施した“生徒”によってなされるものである」

社名を1918年、阪神急行電鉄に改称し、通称『阪急』となった。
阪神が梅田三宮を60分のところを阪急は40分で結んだ。

「早い、涼しい、がら空き」というキャッチフレーズを吹聴させた。
小林一三らしいエピソードがドラマで見られる。

阪急百貨店 世界初のターミナル百貨店 1920年

1Fに白木屋(現・東急百貨店)をテナントとして、誘致し、売上に応じたテナント料金システムを発明する。

百貨店に大食堂を作り、「ライスカレー」を20銭で出すために、自前の牧場まで創った。5銭の「ソーライス」も発明。

未来の客を育てた…「ソーライス」

小林一三が日本において、カレーライスを育てたと言っても過言ではない。しかし、カレーすら食べられなかった貧乏な若者も育てた話はあまり知られてはいない。

同食堂の人気メニューはライスカレーだった。客はこれにウスターソースをたっぷり掛けて食べるのが常だった。ところが昭和恐慌のあおりで、ライスカレーではなく、ライス(5銭)だけを注文してテーブル据え付けのウスターソースや福神漬を掛けて食べる客が増えた事が百貨店内部で問題視され、上層部がそういった客を締め出す目的でライスのみの注文禁止を決定、他店舗もこれに賛同し、徹底させる事態となった。しかし阪急社長の小林一三は、逆にこれを歓迎する姿勢を打ち出し、「ライスだけのお客様を歓迎します」という貼り紙まで出させた。

従業員の中にはこれに疑問を持つ者や店の売り上げを無視した姿勢に反発する者も少なくなかったが、小林は「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。そのときここで楽しく食事をしたことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」と言って諭したという。こうして「ソーライス」は阪急百貨店大食堂の堂々たる「裏メニュー」となり、広く知られた。

後年、関西の財界人のあいだでは「阪急食堂でよくソーライ食ったな!」というのが共通の昔話となったという。余談だが、後に景気が持ち直し、ソーライスで飢えを凌いだ人達は敢えてソーライスを注文し、当時の御礼の意味も込めて、わざと高い追加代金を食器や食券の下にそっと置いていくという事態が後を絶たず、逆の意味で従業員が悲鳴を上げる事になったという。

花森安治は、小林の「タネから客を作って育てる仕事」の一例として以下のように書いている。

……阪急百貨店が開店した直後、昭和5年、昭和6年は、浜口内閣の緊縮政策で、日本は不景気のどん底にたたきこまれていた。(中略)下級サラリーマンは、昼飯代にも事欠くありさまだったが、(中略)目をつけたのが、デパートの食堂のライスである。あれは五銭で、しかも傍に福神漬など、ちょっとついている。ソースでもぶっかけてくえば、(中略)腹の虫も満足する。というわけで、ビル街の昼飯どきはデパートの食堂で、この「ライスだけ」というのが大いに流行した。音をあげたのは、百貨店のほうである。(中略)ある日のこと、(中略)「ライスだけのご注文はご遠慮くださいマセ」といった貼り紙が出ていたのである。(中略)すると、翌日の新聞に、阪急百貨店の広告が、どかんと出た。「当店はライスだけのお客さまを、喜んで歓迎いたします。」小林一三は、その当座、昼飯時には、必ず食堂にいた。そして、ライスだけのお客には、とくに指示して、福神漬をたっぷりつけ、客席をまわって、そういう客には、じつにあったかい笑顔で、いちいち頭を下げてまわった

https://ja.wikipedia.org/wiki/ソーライス

小林一三の経営感覚は本当に勉強になる…。

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