服部桂さんのFBエントリで、マクルーハンの「メディアはマッサージである」の文庫本化の知らせを受けた。
「メディアはマッサージである」
「メディアはメッセージである」。と思わせられていたが、実はなんと、「メディアはマッサージである」であったのだ。
これはマクルーハン特有のウィットネスだった。
ふと、現在のメディアはなんであるかと考えた時に、ヴァルター・ベンヤミンのパサージュ論を思い出した…。
19世紀のパリのパサージュというアーケード商店街の広がりは、amazonや楽天市場などが築いた商店街に、「アーケード」という「ソーシャルメディアの雨よけ」をつけたことによって活性化していく様を見事にえがいている。
パリの人々が初めて見るもの、感じたもの、それをカフェで共有することによってさまざまな文化芸術放蕩ぶりを見せてくれるのだ。
現在のパサージュ論は、パサージュを、広告プラットフォームと置き換えてみる。
パサージュの、煙草に変わるものそれは、課金ゲームかもしれない。
パサージュで隆盛するもの、自転車、ロングスカートに変わるもの、それはオキュラスリフトのような、イメージでの脳内自転車なのかもしれない。
また、デジタルの世界=非アウラの世界の果てには、またアウラな世界が蘇生する。
複製技術時代の芸術とは、「世界史において初めて、機械的な複製は芸術作品を儀式への寄生的な依存から解き放った」とある。
パリのパサージュの多くは、1822年以降の15年間に作られた。パサージュが登場するための第一の条件は織物取り引きの隆盛である。
・パッサージュは街路にガラス張りの屋根をつけて、天気にかかわらず街を歩けるようにした一角、つまりアーケードである。石ではなく鉄骨の建築物がつくられるようになり、ガス灯が街の夜を明るくしはじめた。繁華街の街路が交通の手段であると同時に商売の場であるのは、はるか昔からだった。けれども、パッサージュは、そこから交通の手段という役目を排除した。商売の場に限定されたパッサージュは、そこに集まる人を滞留させる。各商店に並べられた商品を眺め、物色し、あるいはカフェでの談笑や議論、レストランでの食事を楽しむ。パッサージュは「商売に対してのみ色目を使い、欲望をかきたてることにしか向いていない」場だったとベンヤミンは言う。
・おもしろいのは、パッサージュが人びとに喫煙を広めたという点だ。「明らかにパサージュではもうすでに煙草がすわれていた。それ以外の街路ではまだ一般化していなかったのにである。」コロンブスが新大陸から煙草を持ち帰ったのが15世紀の末だから、煙草の普及はゆっくりしたものだったと思うが、ここでもパサージュが、その習慣を一気に広めた。パリはつい最近、カフェやレストランなど公共の場での喫煙が全面的に禁止された。と言うことは、喫煙という行為はわずか200年たらずの束の間の習慣になってしまうということになる。・パッサージュは自転車を流行させた場所でもあるようだ。それも最新のファッションで着飾った若い女たちを虜にした。そしてそのスカートが翻るさまに男たちが欲望をする。「自転車に乗った女性は、絵入りポスターでシャンソン歌手と張り合うようになり、モードの進むべきもっとも大胆な方向を示した。長いスカートが少しばかりまくれたからと言って、どうということはないのが現代的な感覚だが、当時はそうではなかった。「当時のモードの特性。それは完全な裸体を知ることの決してない身体を暗示することだった。」
・そんなパッサージュの賑わいも、百貨店が登場した18世紀の中頃から衰退しはじめたようだ。ベンヤミンがパリでパッサージュを訪れた20 世紀の20年代には、すでに過去の遺物のようだった。とは言え、芸術家たちがたむろする場所でシュルレアリスムが生まれるきっかけもつくった。http://www.tku.ac.jp/~juwat/blog/book_blog/2008/02/post_66.html