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火の発明は、人類に大きな夢と希望を与え、他の動物よりも優先的に、この地球上で生きる権利を約束された。人類に火を与えたのは、神なのか、自然発生なのか?それとも惑星外の生物?なのか?もはや誰にもわからないが、この火を制御したことによって、人類が繁栄したことは確実である。
50万年前、石を武器や道具として使っていた石器時代、他の動物に対して対等に戦う「力」を持つことができた。石をさまざまな、ヤリやオノのカタチに加工することによって、人間の身体的機能の弱点を補い、人類以上の身体的能力を持った獣たちから自分たちの種族を守ることがができた。
また、それらの「発明」を普遍的な「技術」として、身振り手振りで伝達し、時間をかけ経験・学習し、さらに記憶・再利用し、情報を「共有」できた時に、人類は「進化」という選択枝が与えられた。
言葉も文字もメディアも経済もなかった時代でさえ、種の生存のための「文明の利器」情報は自然に伝達され、さらに細かな改良プランが加えられ情報として再分配がなされた。
しかし、石器の発明によって、他の動物から襲われるリスクは減ったが、自然に発生する落雷や山火事などで、「火」という天災には苛まされた。しかし、ある日、鎮火した山火事の中で、焼けおちた木の実などの香ばしい香りに誘われ、それを食することによって、禁断の旨みを知ることとなった。また、動物たちの肉が焼かれることによって「天敵」から「食料」に変化することもきっと経験したことだろう。
禁断の「旨み」を再現するために、燃えた木の枝に火を移し、住居の洞窟に持ち帰り、火種として動物の油脂を使い保存することを知り、火の活用法をブラッシュアップさせていく。当然、その間には、何度も火傷をしながら、安全に「火」を管理する方法に人類は英知を絞った。
火は、闇を照らす灯りとなり、獣や動物と争うことなく燃やしているだけで身辺を防御した。極寒の日には暖をとり、部族の中での憩いの場を灯し、明日への生命の英気を養う効力も持ち始めた。
火が人類から、空腹や寒さや危険から開放したことによって、時間や創造性、生殖活動が促進され、部族の中で争いがおきないようにコミュニケーションのための言葉が生まれたことだろう。さらに、リアルタイムなコミュニケーションだけではなく、時空を超えた伝達手段として、壁画に絵を記すという行為も生まれた。
「火」は人類に他の動物よりも圧倒的な「力」を与え、その活用のための創意と工夫を生み出し、火のエネルギーによっていろんな「問題」を解決していった。火は、火種と可燃物と少しの注意力さえあれば、人類の繁栄を約束してくれる存在だった。それはまるで、モバイルでユビキタスな小さな太陽であったのかもしれない。
人類が「原始の火」を取り入れ、狩猟時代や農耕時代を越え、集落や村落で分業化が進み、貧富の差が生まれはじめた。心のよりどころとしての信仰も生まれ、独占や支配欲が生まれることによって、新たな争いも発生した。「原始の火」は、人類生存の危機を救ったけれども、新たな問題もたくさん生みだしてしまった。数万年後の現在でさえ、火の進化形の社会を維持するために、残り少ない化石燃料を争って、人類同士が殺戮を繰り返すという野蛮な行為をいまだに繰り返しているから、学習機能は原始人並といわざるをえない。
しかし、火の発明によって、加工する、食を楽しむ、夜を灯す、戦う、心を癒す、いろんな物質の科学変化によるメリットを享受することができたのである。
人類は、「火」の発明によって、大自然の中から法則性を学ぶということを始めた。植物がどのように発育していくかの観察からは、農耕による食料の安定供給を覚え、野生動物の生態を学習することにより、効率的な狩猟の方法を覚え、火による科学的な変化によって、多彩な食生活を営めるようになった。
火によって、身の安全が保たれ、捕食の優位さが生まれ、安全にすごすためのコミュニティ、集団としてのスケールメリットが活かされてくることにより、文化、文明を育まれることとなる。
■文明は「地域の火」から生まれてきた。
世界の四大文明は大河の集落を中心に派生してきたといわれている。それらは河の流域という生活基盤の地域に人々が集い、アイデアを交わし、検証し、工夫することにより、それぞれの地域に根ざした効率のよい暮らし方が文化となり、後世から眺めると、文明というひとつの大きな特徴をもった時代を形成している。
肥沃な三日月地帯と呼ばれる丘陵地帯で麦の栽培を始めた人類は、約7千年前、チグリス・ユーフラテス川下流域のメソポタミアの平原に移住し、肥沃な泥と出会い、灌漑を行い、麦の収穫を飛躍的に増やしたメソポタミア文明
ナイル川の氾濫は、作物に恵みをもたらしながら、3千年にわたりエジプト文明を繁栄させた。河の氾濫の間、仕事を失う農民の力と集結することで、ピラミッド建設という公共事業が完成させた。
インダス川流域に栄えたインダス文明は、モヘンジョダロやハラッパーといった都市が形成され、インダス文字などが形成された。中国の北部を流れる川の細かな黄土によって作られた青銅器は神々を祀り、黄土によって築かれた城壁、黄土の糧で育まれた古代中国の黄河文明。
これらの文明は、河の流域に生息することによって、もたらされた文明の恵みである。すべては、物理的な地域の中で、限られた同じ状況の中で誕生した文明でもある。この時代の特徴は、情報を伝達するスピードがゆるやかなため、自分の誕生した地域の文明にしか触れることが当然ながらできなかった。だからこそ、地域やコミュニティ、同一民族、同一種族というローカルな環境の結束が高まっていった。
反対に、その地域にあわない文化というのは、発生していても、定着しないという結果に終わっていたことも想像できる。人類の歴史において、生まれてきた場所や家族、集団・コミュニティが、一番個々に影響を与え、すべての行動や思考の支えとしての中心が地域であった。
■信仰は「心の火」という最初のメディア
農作を覚え、狩猟を覚え、種族の繁栄が、コミュニティを作り、そのコミュニティ力が政治を作り、社会が形成されえちく。しかしながら、その社会を形成するには、多大で過酷な労働力の提供により、それらによって維持されていた。そのために、人類は未来へ希望を抱くために、信仰という生きるための目標によって信心の精神を支えた。火が物理的な発明であるが、宗教は心の火としての発明なのではなかっただろうか?
中世の世界では、長い間、宗教がコンテンツであり、余暇であり、コミュニケーションのための共通のコモンセンスでもあった。そして、寺院や僧侶は、人類が生きるための目的や目標を占めすメディアであった。その頃のメディアの伝達手段は、寺院に集合し、僧侶の話を耳で聞くという、オーラルな視聴覚体験が重要であった。
言語が理解すれば、コンテクストを把握することができ、僧侶の話を日々の暮らしのなかで応用し、活用することにより、社会の中でうまく生きるための処世術が形成される。明確なルールとしての法律が制定されながらも、法律を適用する以前に、理想としての生き方を宗教によって、人類は各地域で共有していった。
地球上に、信仰する宗教の数は数万種類といわれるが、どの宗教にも共通するルールが存在する。それは、やはり「地域性」である。オーラルな視聴覚体験で伝達される宗教の場合、同一地域でしか、その信仰を信心することができないからである。一部のカルト的な宗教を除き、物理的に集うことができてはじめて信仰の場が生まれた。そして、それが、人から人へ、ある時は、聖職者や巡礼者の手によって伝達されて、他の地域に影響を与えていく。つまり、先天的な宗教観が人類にあるのではなく、生を受けた、家族、地域、コミュニティに、あるいはその部族や、その民族、国民性に生まれたことによって後天的に形成されるものである。
慣習や習わしによって、宗教観は伝達され、家族やコミュニティによってそれらが完全なるものとして、幼少期の頃からの教えとして、「心の火」として刻まれるのである。
しかし、残念ながらその宗教観の違いによって、現在では、いまだに各民族、各国レベルでの闘争が絶えない。世の争い事の根底にあるものが、心の平定を求める宗教に起因しているということは、非常に皮肉な話である。その諸問題の根底が宗教的理由であれば、その宗教そのものを疑う必要がもしかするとあるのかもしれない。
先天的に信じることのできる神や、信仰は、存在しなかったという仮説をもとに考えることによって、絶対的な事実を、共有することによって、現在、起きている、物理的な地域性における諸問題は解決できるのではないだろうか?
■グーテンベルグが「文字の火」をもたらした
15世紀のグーテンベルグの発明は、それまでの写生本を通じてしか聖書に触れることができなかったことを、大量に聖書を流通させることとなった。鎖につながれた貴重な聖書は、馬の鞍にのせられ、まさにハンドヘルドなメディアとして広く人々の眼に触れるようになった。また、それと同時に、一部の特権階級の人しか、文字を識読することができなかったが、文字で書かれた聖書が広まることにより、文字を読むという文化が発生していく。耳で聖書の話を聞く時代から、眼で文字を黙読する時代への変遷なのである。
識読のリテラシーを大量に伝えるために学校というメディアが必要となり、教育制度が進化するようになる。さらに、文字が読めることにより、印刷物による聖書は、ひとつの場所に集うことなく、個々に必要な時に読んで理解するという「パーソナルな教会」となった。
識読リテラシーは、印刷術が登場したからこそ、それをブラウズするためには必要不可欠なリテラシーであった。しかし、ブラウズできる人たちが増えることにより、いつでも好きなときに知識を得ることができるという「読書」という新しい習慣が生まれることとなる。
新しい技術が新たな文化的な新習慣を形成していく。耳を主とした学習体験が、眼を主とした黙読による、学習がこの頃から発生していく。ブラウズという黙読文化が、受身型の情報消費というスタイルを21世紀の初頭にまで続くこととなる。
■産業革命、「エンジンの火」
スコットランドのエンジニア、ジェームズ・ワットが1769年(238年前)に蒸気機関を発明した。石炭を燃料として、莫大なスピードとパワーを生み出すことに成功した。馬などの動物エネルギーや自然界の風力や水力による生産活動が、蒸気機関エネルギーに代替されることによって、生産性が爆発的に向上する。手工業時代から大量生産時代へとパラダイムが変化した。
特に移動距離やスピードにおいても、蒸気機関車や蒸気船といった長距離、大量輸送という物質的な移動の大革命が生まれた。スピードは、ありとあらゆる情報のコストを下げることにつながり、また情報の有無によってのビジネスの商機も左右するようになった。
18世紀の英国の工場において機械による生産によって手工業時代とは雲泥の差の生産力を生み出し、植民地とした国々という市場に向けて大量工業製品を輩出するという産業が生まれた。安価な製品は植民地には文化を、英国の資本家にはさらなる富をもたらした。物質の流通が早くなればなるほど、世界の各地でさまざまな産業が誕生していく。これらが産業革命へとつながっていく。
この産業革命の「エンジンの火」により、安価にすべての国々に物が流通するという新たな文化価値が創出されたのである。その後、蒸気機関は、内燃機関であるエンジンへと変わり、石炭が石油に代わり、より早くさらに遠くへ大量に情報も物質も移動できる手段が登場した。
一部の資本家と株主、そして労働者という組織の構造は、現在の「会社」という組織の形態となり、会社員という労働スタイルを定着させた。産業革命は、農耕と手工業主体の社会を、機械労働力を駆使した大量生産の経済社会へと変革させていった。
■電気、エレクトロニクスの火
産業革命の火は、今度は電気の火へと変化していき、仕事や業務のスタイルから、生活スタイルを激変させていく。
1840年、アメリカのモールスがモールス符号を発明する。モールス符号によって、文字は初めて、トンとツーというデジタル信号に変えられ、電機信号にのり移動することを可能とした。デジタル信号はモールス符号により、文字へと変換された。アナログをデジタルに、デジタルをアナログにというアイデアはモールスの符号により実現され、人間にわかる言葉と機械にわかる言葉に置き換えるという処理がはじめてなされた。1851年、ロイター通信社が海底ケーブルで金融情報を配信するようになる。
1876年ベルが電話機を発明し、アナログ音声はそのまま遠隔地に届くようになる。1877年エジソンが蓄音機を発明する。モールスの符号を録音したいというアイデアは、音楽を再生する装置として置き換えられた。1879年エジソンが白熱電球を発明したことによって、工場などで活用されていた電気エネルギーを家庭でも必要なることとなった。1888年ヘルツが電磁波の実証実権によって、有線でなくとも電気は移動するということが証明され、無線というコミュニケーションの概念が生まれる。
1895年ルミエール兄弟がシネマトグラフを公開したことにより、舞台のようなライブでなくても、エンターテインメントが何度も再生できるという映画の仕組みが誕生する。1897年にブラウンがブラウン管を発明したことにより、テレビ映像を写し出す装置が登場する。1908年に登場したT型フォードは、自動車を一般の人にも購入できるものにし、郊外の住宅地への移動やハイウェイの整備などで、アメリカンライフスタイルを変革させる。
特に1876年からの20年間は、電気による発明ラッシュであり、電気の可能性が一気に萌芽した時期でもある。電話、ステレオ、ラジオ、映画、テレビの基本原型がこの短期間の間に生まれているのは歴史的にも衝撃的な時代であっただろう。現在のインターネットを電気にたとえることにより、これからの変革を予測するのは、もっとボクたちは想像力を豊かにしなければならない。
「電気の火」は20世紀のコミュニケーションの革命ともいえるべき時代に灯りをともした。
1840 モールス符号の発明
1843 ベイン、走査概念の考案
1854 米提督ペリー、将軍にモールス電信機献上、実演
1856 ガイスラ-、真空放電管の発明
1864 マクスウェルの電磁場理論
1868 明治維新
1869 ( 明治2 ) 横浜で電信線800m敷設
1871 ( 明治4 ) 長崎-上海、長崎-ウラジオストック間海底電信線敷設
1871 ( 明治4 ) 郵便事業開業
1872 ( 明治5 ) 東京-新橋間鉄道開通
1873 セレンの光電現象の発見
1875 ケアリー、多線式テレビを考案
1876 ( 明治9 ) ベル、電話機発明 ( 送話器の特許取得 )
1877 エジソン、蓄音機 ( フォノグラフ ) を発明
1877 ソーヤー、直列式テレビを考案
1884 ニプコー円板の発明
1888 ヘルツ、電磁波を実証
1895 ( 明治28 ) ルミエール兄弟、シネマトグラフを公開
1895 エジソンの映画ビジネスはじまる
1895 マルコーニ、無線通信実験に成功
1897 ( 明治30 ) ブラウン、ブラウン管を発明
1898 ( 明治31 ) 東京-大阪間長距離電話開通
1925 ベアードの機械式走査による世界初の実験的テレビ発明
1930 NHK技術研究所、テレビ研究を開始
1932 BBCでテレビ実験局開局
1933 ツヴォルキン、撮像管アイコノスコープを発明
1935 ドイツで世界最初の定例放送開始
1936 ( 昭和11 ) 高柳、全電子式テレビ方式完成 ( 走査線数245本 )
http://www.nhk.or.jp/strl/aboutstrl/evolution-of-tv/index.html
「日本放送技術発達小史」より
■マイクロプロセッサの火
電気の火が、エンタテインメント分野に多大な影響をおよぼしたのは、20世紀の中ばにはいってからである。特に終戦後からは、世界にエレクトロニクスの多大な恩恵をもたらした。
そして、エレクトロニクスの火は、次なるマイクロプロセッサの火を生む。
1939年、世界で最初のコンピュータ、アタナソフ&ベリー・コンピュータが登場し、1945年、世界を二分した第二次世界大戦が終戦となった。1946年、弾道計算のためにペンシルバニア大学でデジタル電子計算機「エニアック」が誕生する。
1948年、真空管に変わる、トランジスタがベル研究所で発明され、1949年に現在のコンピュータの原型となるEDVACが登場する。1966年にはトランジスタを集積したIC(集積回路)のライセンスが共有され、1971年インテルが4ビットのマイクロプロセッサ4004を発表したことにより、マイクロプロセッサの火によるコンピュータの時代へと社会が変わる。
当時、コンピュータは企業、しかも大企業の業務管理に使われるもので、個々の業務にあわせてプログラムを開発し、利用するものであった。汎用コンピュータといわれながら、汎用に使えない汎用コンピュータであった。
1976年、アップルコンピュータがアップルIを発表し、パーソナルコンピュータという今までにない新しいカテゴリを作り、家庭で個人がコンピュータを使うという新しい社会を提案する。パーソナルコンピュータは、何に使えるのかわからないまでもマニアを中心にヒットしていく。
そして、アプリケーションソフトウェアが登場することによって、タイプライターや高機能なメモリ付き電卓の代替手段として、表計算やワードプロセッサーとして普及していく。
1981年IBMがIBM-PCを発売。そして、マイクロソフトがMS-DOSを発売する。マイクロソフトは、売上げに応じて報酬を受け取るレベニューシェアの契約によって莫大な利益を計上することとなる。
1984年、アップルがマッキントッシュを発売したことにより、レーザーライターやデスクトップパブリッシングDTPソフトが登場し、パブリッシングの分野にパーソナルコンピュータが浸透していく。マイクロプロセッサは、パーソナルコンピュータの火として、個人の創造性や仕事を大きく変化させるようになっていく。
そして、このマイクロプロセッサの火はネットワークの火へと継承される
■ネットワークの火
マイクロプロセッサの火から約50年。コンピュータ同士がネットワークされるというコンピュータ史の中の産業革命が発生している。これがネットワークの火である。
さらに、インターネットという、情報をWWWで共有しながらコミュニケーションをとるという文化が形成される。
1969年、冷戦時代、アメリカ国防総省の高等研究計画局(Advanced Research Project Agency:略称ARPA)が、インターネットの原型をつくる。米国の危機意識が強固なネットワークプロトコルを生むこととなる。
1980年にスイス・ジュネーヴの欧州原子核研究機構 (CERN) にソフトウェア技術のコンサルタントとしてバーナーズ・リーは約6ヶ月間入所した。数千人に上る研究者や参加者に効率よく情報を行き渡らせるためのシステム開発を命じられたが、折しもバーナーズ・リーは個人的開発作業の一環として、ランダムに他の文書と連結できる仕組みを持った情報管理ツール「ENQUIRE」を開発してしまった。これが WWW の概念の基礎となった。
1990年 11月: ティム・バーナーズ・リー が最初のWebサーバーとWebブラウザを試作する。1993年6月イリノイ大学 のNCSA(米国立スーパーコンピュータ応用研究所 (National Center for Supercomputing Applications・NCSA) に所属していたマーク・アンドリーセンらが作った世界ではじめてのWWWブラウザMosaicを発表。
1994年3月ネットスケープがMosaic系ブラウザNetscape Navigator(以下、NNと表記)1.0を発表する。 マイクロソフト社は、Mosaic派生のspyglassのソースコードを買収して、それを元にInternet Explorer 1.0を開発
1994年、ヤフーがディレクトリサービスを開始。
1994年、アマゾン・コムが設立される。若き創設者ジェフ・ベゾスの夢は、すべてを売ることだった。のちにインターネット販売の標準になるアマゾンのモデルは、店が個人のお勧め商品を自動的に教えてくれるレコメンデーション・システムを構築。
1998年3月:ネットスケープ社は、開発中の次期NNのソースコードを一般に公開し、その管理団体mozilla.orgを設立。オープンソースとして世界に放った。
1998年、2人のスタンフォードのプログラマーがグーグルを生み出した。そのアルゴリズムはアマゾンのシステムと似ており、リンクをレコメンデーションとして捉える。世界でもっとも強力な検索エンジンが始動する。
1999年、TiVoは、テレビを時間帯とコマーシャルの束縛から解放することで、テレビを変えた。この年、パイラ・ラボと呼ばれるネット新興企業が、個人の情報発信ツール「ブロガー」を発表する。2001年、オンライン百科事典のWikipediaがスタートする。2002年、フレンドスターが開設される。何十万人もの若者が登録に殺到し、彼らの生活や趣味、また人間関係に関する驚くほど詳細な情報を共有する。また、この年にはグーグルはニュース・ポータルの「グーグルニュース」を開設。
2003年1月:アップルコンピュータ社は同社のコンピュータ製品における標準のWebブラウザとして、従来のMac OS X版IEに代わって、KDEのKHTMLとKJSをベースにしたSafariを採用すると発表、ベータ版を公開した。
2003年、リンデンラボがSecond Lifeを発表、Intermix MediaがMyspace.comのサービスを開始。
2004年8月Googleが上場。10月GoogleがKeyholeを買収し、Google マップ、Google Earthが公開。
11月:Mozilla Firefox 1.0が登場。
2005年、2月YouTubeがサービス開始。3月GoogleがUrchinを買収し、Google Analyticsを開始。。7月ニューズコーポレーションがMySpace.comを5億8000万ドルで買収。2006年10月、GoogleがYouTubeを16億5000万ドルで買収を発表。11月ウィキシステム、Jotspotを買収。そして、現在へと続く…。
ネットワークの火は、WWWというフォーマットの上に、誰もが参加できる膨大なデータベースを構築し、ブラウザというアプリケーション上に幾多もの情報を配置できるようにした。人類はあたかもこのブラウザを通じて、テレパシーのように同胞たちの動きを知ることとなった。また、マスメディアだけではなく、SNSと呼ばれる仕組みで知人が何をやっているのかも、あたかも知人を通じたセンサーのように知ることができた。もはや、ネットワーク上には、空気抵抗もなければ、時差も存在しなくなった。
■複合的に活用されてきた、それぞれの「人類の火」
人類を後世に残すこととなった「原始の火」、人類に文明をもたらした「地域の火」、生きる目標を与えた「心の火」、知恵や学習を生んだ「文字の火」、大量生産や高速移動を実現した「エンジンの火」、暮らしを快適に、便利に、余暇の楽しみを生んだ「電気の火」、膨大な情報の処理を可能にした「マイクロプロセッサの火」、そして、コミュニケーションを多層的にした「ネットワークの火」。
これらの「火」を制したことにより、人類は新たな世紀へと歩みだしている。
食べるために争うことから、食べるために働くようになり、働くことによって、生きがいを見つける、生きがいをさらに発信し、共有する、知恵と英知を、技術の力で、より遠くへ、より多く、誰もが届けられるようになる社会が実現している。
原始の火から50万年。地域の火、心の火から1万年、文字の火から500年、エンジンの火から200年、電気の火から150年、マイクロプロセッサの火から50年、ネットワークの火から10年とこの新たな「火」の発見のサイクルは、ますます早くなってくる。さらにそれらが、複合的に活用してきたのが「人類の火」の特徴である。
当然、以前の「火」の世代で暮らしていた人類にとって、次の火の世代は、想像を絶する世界であったように、これからも新しい火に向かいボクたちは進化していくことだろう。
人類が火を発明してから、おびただしいほどの技術進化を経て、インターネットに接続することによって、全世界中が物理的に情報のネットワーク網を構築することができた。単なる情報ネットワークを越え、家族、知人、知人の知人、知人の知人の他人、そしてまだ他人ですらない他人まで、どこで何をしているのかが手に取るようにわかる時代を迎えている。
すでに情報を持っていることや、収集することには何の価値もなく、その情報を元にどのようなアクションを取るのか?が問われる時代を迎えている。
企業や個人の枠を越え、個人がメディアであり、全世界60億人が総表現者である時代を向かえ、その集合体としての人類のアクションは、今までのものとは違った視点のアクションでなければならない。
米国元副大統領のアルバート・ゴア氏は、映画「不都合な真実」で60万年かかって進化してきた地球の環境が、1970年頃からのたったの20年間のCO2排出過剰により、超逆ロングテールの環境破壊が行われていることを演説している。
ゴア氏が語るように、地球の歴史は、まさに人類の過剰な欲望の煩悩の中で急激なオゾン層破壊を伴い、幕を下ろそうとしている。その生命はこのままいくとあと50年という予測もでている。異常気象、暖冬、ハリケーン、豪雨、冷夏、確実に地球が悲鳴の信号を投げかけていることも理解することができる。
グーグルアースで地球地図を3D空間としてみることができるように、今度は「グーグル・エンバイロメント」なる新しい環境汚染をリアルタイムに「可視化」できるようなソフトウェアが必要だろう。リアルタイムでCO2の排出量を測定でき、オゾン層の破壊率と、グリーンランドの氷河の融解率と、ハリケーンなどの発生率の関係性が小学生にも手にとるようにわかれば、人類が何をするべきかはもっと明確にわかることだろう。
そう、このように人類は「見える化」しないと何も具体的なイメージができないのだ。しかし、一度、可視化できた情報は強固なイメージとして脳裏に焼きつくことだろう。
ネットワークによって、人類は、人々の「ステイタス」や「状況」がテレパシーのように悟ることができるようになり、デジタルデータであれば、物理的な転送は自由自在となり、仮想空間によって、あたかも外出しているような感覚も経験として実感できるようになる。しかし、あくまでも仮想の感覚は、リアルの感覚の代替手段にしかすぎない。
Webのバージョンが限りなく進化を繰り返していくことにより、人類は考えることのみにほとんどのエネルギーを投資することができるようになるだろう。しかし、衣食住の基本的な原則やレジャーの感覚はいつの時代も変わらない。未来になっても、ペットは飼っていたいし、自然の中でのバーベキューは楽しいものだ。
デジタルテクノロジーは便利を供給すれど、サービスを安価にするものでは決してない。また、テクノロジーそのものを、何のための進化なのかも、よく議論され考えられて使用すべきであろう。これは人類にとって、地球で生存するものにとって福音をもたらすのかどうか?目先の利益だけで、利用・活用されるべきものではないはずだ。
それらを考えずに目先の利益だけを見てるのは、未来にむかって盲目のまま突き進む危険なブルドーザーである。瓦礫となってしまった道はもとには戻らない。
ボクたちは、個々に心の目で、未来を見つめ、自分たちの理想とする社会をイメージしていかなければならない。そんな時代に生きているのだ。テクノロジーはそんな一人一人の個人が意志を表示する時代になったことを次げている。