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映画「This is it」を見た。もう、とにかく感動!。
初日に行けなかったのと、期待しすぎて、ガッカリというのもいやなので、実はあまり期待していなかった。
しかし、twitterであの@kenjienoさんが、こうやって煽る…。
もしかして、あのダカダダッタンダーダンではじまるのか?
あのドームになる前の、後楽園スタジアムのライブを思わず思いだした。
そして、煽られ続けて二日目、twitter革命の初稿の修正を終えて、映画館へ!
リハーサルシーンだけで構成された映画、舞台監督が作った映画、マイケルの不慮の死による埋め合わせ映画。
しかも二週間限定。そんなに期待するわけにはいかない…。しかし、実質的なマイケル・ジャクソン最後の作品である。
いやいや、老いぼれてしまった動きの鈍い、マイケルを見ても、ガッカリしないように覚悟して見に行った…。しかし、そんな心配は一気に吹き飛んでしまった!やはりマイケルはモンスターを通りこし、神から授かった宝そのものだった。
映画館なのに、足はカウントをとってしまうし、体は動き出し、ブレイクダンスっぽく首をひねってしまう始末…。こんなにスゴイことになっていたとは驚きだ!22年前のライブが、そのまま再現されている。
マイケルの鼻はピノキオのようになって、顎がタテに割れてしまったが、それ以外、昔となんら変わらない。いや、昔よりも若いほどだ。
むしろ、この映画で、よかったのはリハーサルシーンのみを2時間も見ることができたことだ。不謹慎だが、生きていたら、このリハーサルは数分の挿入シーンでしかなかったことだろう。門外不出となるはずだった映像が2時間近くも見ることができた。
ステージの映像は今までも、いろんなメディアで見ることができたが、この映画によって、マイケルの本当の仕事ぶりがよくわかった。オーダーのしかた、意見の通し方、妥協しない姿勢。監督オルテガがそれらをうまく受け取っていい作品に仕上げようとするチームワーク。
しかも、これが亡くなる数日前の映像とはとても思えないほど、20年前と声も動きも変わらない。円熟しかなく、衰えを感じることができない。マイケルの死がこの映画を見れば見るほど、ウソに見えてくる。本当に死んでいるのか?
踊りや歌など、ブランクがあると絶対に劣っていたはずだ。マイケルが何十年も努力をし続けていたのかどうかわからないが、ダンスを見て、やはり神から授けられた人だったというのがわかる。
全世界からオーディションで選ばれるダンサーたちと、一緒にダンスをするが、マイケルの場合は、他の人たちとのダンスでも雲泥の差だ。しかも歌いながらだ…。これはもう、呼吸するのと同じように、小さな頃から、体に染みついている自然なリズムなのだろう。ほんのちょっとしたしぐさでも、リズムが違う。また、リハーサルでフルで出さない声にも、まさに神が宿っている。こんなにも音程とタイム感のいい人を見たことがない。
人生の最初の記憶にあるのが、ステージで歌っていることというという、普通の人の生活をしたことがないという、すさまじい子供の頃の思い出。物心がついてからずっと芸能界で歩んできた50歳の男にとって、やはり生活の場は、ステージの上でしかなかったのだろう。
一曲目のstarting somethingのベースにダメだししながらの自らのスキャットで説明するところ。リズムの神の登場だ。Human natureのブレイクへのこだわりは、1987年のBad Tourのまさにそのままのアレンジでありながら、細かな指示を出す。
ユニークだったのは、カナル型のステージモニターイヤフォンにマイケルが慣れていないという点だ。そうか、20年前はカナル型のモニターはなく、自分の耳でモニタリングしていた。それだけマイケルがステージを遠ざかっている間にステージも進化していたことを物語る。
映画の中でも自分の耳で、聞く訓練をずっと受けてきたマイケルがイヤフォンを外すシーンがある。便利なツールよりも、長年の自分の経験値のほうが信頼できるからだろう。
映画の中の映像も、コンサート映像にしては画期的だった。Smooth Criminalでは、古い映像とのコラボレーションと、ムーンウオーカーのシーンのリメイク。ゼログラビティを見ることはできなかったが、映像とステージ融合の完成型はぜひ見たかった。
ゼログラビティは、2:30に登場
スリラーは3Dで撮影されていたところを見ると、2010年以降の3D装置が普及してきたころに、BDディスクなどでも発売される計画だったのかもしれない。そんなところまで見据えたステージやマーチャンダイジングが計画されていたようだ。
映画を見ているうちに、一緒にライブステージづくりに参加している高揚感につつまれてきている。
この映画は、映画館ではなく、東京ドームで、大音響で疑似ライブで上映してもよかったと思う。
this is it ツアーは、マイケルの借金問題やいろんなことが原因のように報道されていたが、むしろ、それよりも一般の人たちを非日常的な空間へ連れて行くというエンターティナーの使命と共に、地球の環境破壊についての気づきを与えるための強烈なメッセージであったのだ。
天に召されたマイケルの思いは、この映画という新たなライブ形式で、メッセージをメディアを超えて語られる。
あと4年というのは、ゴアの不都合な真実からの引用だろうか?他に意味があったのだろうか?
少なくとも、マイケル・ジャクソンが偉大だったことを証明する映画だったことには変わりはない。
2001年9月10日、ボクはニューヨークの911の前日、マジソンスクエアガーデンで彼を見たのが最後だった。30周年コンサートの2日目であった。その翌日、世界は大きく変わってしまった…。
マイケルもあれから変わってしまった。あの日のマイケルよりも、今回の映画のしかもリハーサルのマイケルのほうが数段よかったのが残念で仕方がない。
マドンナも反省していたように、バッシング続きのマイケルに対して、罪の意識を感じた。
ぜひ、アカデミー賞、作品賞を贈り、マイケルの功績を後生にも伝えてもらいたい。
マイケルさん映画、アカデミー賞出品へ=配給元が作品賞など打診−米 http://j.mp/1EAyVM
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