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デュポン テフロンのフライパンは核の平和利用のシンボル

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鉄鍋から「テフロン」の登場で、誰もが料理を焦がさないようにできるようになった。

テフロンとは、米国のデュポン社が持つ商標で、「ポリテトラフルオロエチレン (polytetrafluoroethylene, PTFE) 」というのが正式名称。

1942年のマンハッタン計画でこの物質は、原子爆弾の核燃料を製造する課程で、六フッ化ウランの代替品として使用されるようになった。いわば核燃料製造のために開発された技術なのである。

しかし、その物質をフライパンで利用することによって、家庭料理の世界で革命が起きたのだ。

フライパンの表面コートにする事で、耐熱性や食品や調味料による侵食が高く、摩擦が少ないためにくっつかず、焦げ付きをおこしにくい。誰もが美味しい料理を作れるようになったのだ。

さらに、テフロン加工メッシュになれば、汚れがつきにくいシューズになったり、カバンにまで応用されるようになった。

 

デュポン社は、フランス移民のエルテール・イレネー・デュポンが1802年に創業した火薬製造会社だ。

初期は、黒色火薬事業で大成功する。

南北戦争(1861-1865)、ダイナマイトや無縁火薬、第一次世界大戦(1914-1918)、第二次世界大戦(1939-1945)では、火薬や爆弾を供給する軍需産業として利益を育む。

しかし、デュポンの選択で重要だったのは、莫大な利益を育む軍需産業研究(イースタンラボラトリー)に依存するだけではなく、一般的な研究プロジェクト(エクスペリメンタルステーション)を手がけていうたことだろう。

その影響で、アポロ計画や、ナイロン、ストッキング、塗料、そしてテフロンが、核の平和利用へと転換がなされたのだと考えられる。

事業として、粗利があるから、もしくは愛国精神で軍需産業で人身を傷つける産業に従事するか、その浄財としてでも、一般科学製品に振り向けるというのは、企業の存続に明雲をもたらし、企業のブランド持続にも必須の事だったのだろう。

しかし、結果として戦争利用された企業が、平和利用のためにその技術を科学で恩返しするというのは非常に良いことだと思う。

新調したテフロンのフライパンを振りながら、この上で、かつては、プルトニウムが料理されていた事実を振り返りながら、デュポンの核の平和利用のメッセージをもっと打ち出しても良いのではないかと感じる。

また、とても参考にしたいのが、デュポンの自動車産業への出資だ。

1914年に新興産業である自動車でゼネラルモーターズ(1908年創業)へ2,500万ドル(5億4535万円)出資。1950年代まではデュポン社のピエール・S・デュポンが社長を務め黄金期を作る。そして、50年代、GMはアメリカ最大の企業となった。

自動車産業が発達することにより、デュポンのプラスチックやファブリック、塗料などのビジネスを最大化できるからだ。

これが最大の出資要因だったのだ。

「どんな予算でも、どんな目的でも」と、T型フォード(1908-1927モデルチェンジなし)を造りつづけたフォードを抜き去り、多種多彩なバラエティな車種や傘下企業の買収による差別化ブランドをつくりだしたGMは時代をよく捉えていた。

黒いクルマを造り続けたフォードに対して、GMはデュポンの塗料を駆使したカラフルなクルマを量産することによって、デュポンにも莫大なビジネスチャンスを生んだ。

GMはさらに金融でローンやクレジットを開発し、誰もがクルマに手を出しやすくした。

企業という生き物は、時代の歴史的な流れ、偶然のタイミングやチャンスを、経営者や役員がどう判断するかどうかで一瞬にして死にゆくか200年にわたり生き抜くのかが決まる。

ひとつ言えることとしては、長寿企業のどれもが、創業時に掲げた事業品目ではないことだ。

むしろ、大事なのは創業時の会社がどうあるべきか?のコンセプトや事業概念だろう。

誰もが人を殺して儲ける企業になりたいと思って軍事産業になった訳ではない。そこにはなんらかの理由があったのだろう。

戦争、核、原発、領土、ソーシャル時代になって、簡単に煽られる人が多くなる一方、冷静に判断できる人も多くなったのも事実だ。

それぞれの人が、自分のコンセプトを今、一度振り返り、どんな人生を生きていくために、その会社を選び、そのデモに参加しているのかを考えてみてもいいだろう。

自分が、判断している情報をもっと掘り下げるには、あと数回検索エンジンで情報を探し、クリックするだけでも価値観が変わる出会いもあるはずだ。

 

 

デュポン200年の軌跡
http://www2.dupont.com/DuPont_Home/ja_JP/history/history_index.html

 


  「なくてはならない」といわれるものでも、化学上の発見の段階ではその有用性に気付かないことがある。今や「くっつかない」「焦げ付かない」加工の代名詞 となった「テフロン®」の場合もそうだ。しかも、その発見は失敗の中から生まれた。26歳のデュポンの化学者ロイ・プランケットは、1938年4月のある朝、それを見つけた。彼は、ジャクソン研究所で新しい冷媒を研究中だった。テトラフルオロエチレンガス(TFE)を入れて一晩ドライアイスの上に置き、加圧した円筒の一つを開けて、彼は驚いた。何も出てこなかったのだ。逆さに引っくり返して振ってみると、白っぽい粉が床の上にふわふわ飛んだ。プランケットと助手は、その円筒を切り開いて、そこに一晩で自然に重合してしまったTFEを見た。「また一からやり直しか」と彼はぼやいた。しかしその時、化学者としての直感がひらめいた。そして、その物質について調べた結果、極めて異常な特徴に気がついた。重合したTFEは、どんな溶剤にも、最も強い酸にすら反応したり融けたりしなかった。プランケットは、さらに調べるためにその物質を合成樹脂事業部に送った。新ポリマー発見の成果は意外にも大きなもので、当時まだ続いていた戦争のため、様々な軍用製品として利用されたのだった。

 しかし、民間向け市場にとっては当初、そのポリマーの特徴はむしろ欠点と映った。極端な潤滑性は、表面と結合したり接着したりすること、ひいては製品として形作ることを困難にしたからだ。しかし、デュポンの化学者は塗料のように層にして塗ることによって結合の問題を解決。「焦げ付きにくい」という魅力的な鍋を作り出すことに成功した。そして、大々的なマーケティング・キャ ンペーンにより「テフロン®」は誰もがよく知っている「焦げつかない調理器具」の代名詞にまでなった。今ではテフロン®は、ワイヤーやケーブルの絶縁から、製造が困難な医薬品の生産に使用する特異な構成の配管に至るまで何百という用途において利用されている。

http://www2.dupont.com/DuPont_Home/ja_JP/history/history_06b.htmlDu

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