Google CEO、エリック・シュミット 社会は、「あらゆる物が、いつでも、誰にでも利用可能で、知ることができ、記録される」ようになった時何が起きるかを理解できない

Toshiaki Kanda 2010年08月18日 水曜日
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社会は、「あらゆる物が、いつでも、誰にでも利用可能で、知ることができ、記録される」ようになった時何が起きるかを理解できない

via jp.techcrunch.com

techcrunch.com の記事より、非常に興味ぶかい。

新しい、何かを社会が学ぶ時、常にそれは過去のメタファーを10年くらいひきずらないと、変化していくことができない。それは過去の歴史が証明してくれている。

現在の「ソーシャル・メディア」の原型もFriendsterが 2002年に登場した時に端を発する。

もちろん、それまでには「SNS」という発想は世界のどこにも存在していなかった。

驚くべきことに、その「SNS」というサービスがインターネット上で、誰もが参加できることにより、世界中で「SNS」に触発された開発者が一気に2003年に開発をスタートする。

イーマキュリーに在籍していた衛藤バタラ氏 http://bit.ly/cthNLC や、楽天にいた田中良和氏らが、後にミクシィやGREEとなるサービスを展開し、現在の日本での「SNS」市場を創造していった。

Googleの目指す、森羅万象のすべての情報を誰もが活用できる社会は、理想であるが、誰もが悪用できる要素も持ちあわせている。

このエリック・シュミットのいう、言葉をクルマと例えてみるとわかりやすいかもしれない。

The CAR の語源は、THE CARGO(荷車)であり、CARGOからGOを抜いたことにより新しいコンセプトとして伝わった。

当時、クルマを説明するのに、クルマとは、「馬のいらない馬車」であると説明しなければクルマの概念を伝えることができなかった。

クルマは、馬なしでどこでもいける荷車だったのである。

そして、クルマは、あらゆるモノが、いつでも、誰でも利用可能で、線路のないところを自由に移動することができるようになった社会を実現してきた。

古くからの馬車道は、よりスピードを上げ、信号をつくり、舗装道路を作り、高速道路をつくり、人間の住居を首都圏から郊外に移し、郊外のショッピングモールを作り、ロードサイド店舗を作ってきた。

それと同時に、クルマの悪用は、交通事故という年間に数万人の人が事故でなくなっている。この数は、今までの戦争でなくなった人よりも多くなっている。

クルマは「移動」方法を変えただけではなく、「生活習慣」や「ワークスタイル」をも大きく変えた。

グーグルの「検索」や「FREE」のサービスは、すでに「インターネット」の代名詞でもあり、20世紀のYahoo!とちがい、登録されたものを見るのではなく、クロールが集めたきた情報を「検索」で表示するという21世紀初期の「情報社会」のスタンダードとなった。

クルマの「移動」にあたるのが、Googleの「検索」ならば、検索が生活習慣やワークスタイルにも、もっと影響を与えていかなければおかしい。

「社会」はそれを理解するのではなく、予測したり、よりよい方向へ示唆する必要があるようだ。

そして、何よりも「社会」とは、私たち一人一人の集合体である。

つまり、利用者の個人リテラシーが、社会全体に影響を与えていく。

社会が理解できるようになるためには、個人個人がこの、「馬のいない馬車」状態の「検索」の活用をもっと明示していく必要があるのかもしれない。

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