インターネット史: ライバルを成長させるシリコンバレーの生態系 裏切りと親殺しのシリコンバレーの流儀

インターネット史: ライバルを成長させるシリコンバレーの生態系
シリコンバレーの裏切りの歴史と親殺しの歴史

ビジカルクを殺したロータス123

ビジカルクを作ったボブ・フランクストンダン・ブリックリン

ビジカルク はタンディのTRS-80用に書かれ、Apple IIに移植。
http://blog.livedoor.jp/trakt/archives/1740937.html

アップルII(1978年)で動いていた最初のPC用表計算ソフト、ビジカルク(1979年)を販売・開発していたミッチ・ケイパー

ミッチ・ケイパーはビジカルクとの関係を絶ち、自らが、ロータス123(1983年)を開発・販売するロータス社を創業し、1981年にデビューしたIBM PCにライセンスしたことによってビジカルクの市場を制覇した…。

ミッチ・ケイパーが力を入れたのが、IBMのビジネスユーザーにサポート体制とユーザー・インタフェース。そして、ワンタッチでグラフ化ができる機能など。
シリコンバレーの親を裏切る子どもの伝説が脈々と続いている…。

ベル研究所から、ゼロックスとショックレー研究所が生まれ、アドビが生まれ、アップルが成長する

  
マッキントッシュもアドビのポストスクリプトのレーザーライターがあったからこそ。IBM PCの世界を変えることができた。印刷関連市場のプロのニーズに答えた。アドビはクリエイターのツールとして、IllustratorやPhotoshopをリリース。ポストスクリプトプリンターであれば自由自在にデザイナーがコントロールできた。

ポストスクリプトはゼロックス・パーク(PARC パロアルト研究所)のInterpressが原型。ゼロックスがb(ビリオン)クラスのビジネスしか手をつけないかったので、PARC勤務のチャールズ・ゲシキとジョン・ワーノックがスピンアウトしてアドビを1982年に創業。
皮肉な事にもポストスクリプトの最大のインストール顧客はゼロックスだった。
ゼロックスのパロアルト研究所は数々のものを生み出していますがモノにできなかった事で有名だ。
AppleのLisaやMacintoshもGUIやマウスなどがパロアルト研究所の中から生まれている。
しかし、ゼロックス(1942年電子写真法の特許)のチェスター・カールソンが最初に務めたのが、皮肉にも、ベル研究所(1925年創設)。
こちらもトランジスタやUNIXを発明していながらモノにできていないというところを考えると、どこのベンチャーも大企業化すると、無駄な発明をしながら、それらがスピンアウトして新たなベンチャーを起こすという歴史をたどる。
さらに、チェスターからのゼロックスへの出資要請を断ったIBMのトム・ワトソン・ジュニアは「逃してしまった一番大きな魚」とゼロックスを評している。
大企業は、みんな見る目がないということだ。

ベル研、ショックレー研、フェアチャイルドから、インテルやAMDも

チェスター同様に、ベル研究所を、スピンアウトしたウィリアム・ショックレーは、西海岸の故郷へ戻り、
1955年ショックレー研究所を創設する。

1957年8人の反逆者が生まれ、フェアチャイルド社を創設。

フェアチャイルド社から、ロバート・ノイスゴードン・ムーアが、1968年インテル社を創設する。



IBMは、IBM PCの製造部品をすべてアウトソースしていた。
CPUはインテルに、OSはマイクロソフトに、自らはIBMコンバチブルというプラットフォームの権利だけを持っていた。
そこで、勢力を伸ばしたのが、インテルとマイクロソフトだ。

NeXTからWWWが生まれ、Mosaicをスピンアウトし、NetScape、IEブラウザへ

ロンドンオリンピックの開幕式でもおなじみの、サー・ティム・バーナーズ・リーは、スティーブ・ジョブズのNext Cubeで初めてのWorldWideWeb(1990年)を公開した。これは、ティムのCRENでのメインの仕事ではない副業での開発プロジェクトであった。そして特許を申請せず、すべてフリーなものとした。
1993年、イリノイ大学のNCSA所属のマーク・アンドリーセンは、最初のWebブラウザNCSA Mosaicを開発リリースする。NCSAが権利関係にこだわるためにスピンアウトし、ネットスケープ社をジム・クラークと設立。
ネットスケープナビゲイターでネット時代を歩みだす。NCSA Mosaicは、スパイグラス社にライセンスされ、そのライセンスをマイクロソフトが手中に収め、 Internet Explorer となった。

Windows95のPlusPackとして提供されたInternet Explorerはこのように、おまけアプリとしての扱いであったことがわかる。しかし、マイクロソフトのこの後のネットへの戦略シフトはすさまじく早かった。

マーク・アンドリーセンは自分の生み出したMosaicの成長した姿Internet Explorerと死闘を繰り広げることとなる。

ネットスケープがヤフーを育て、ヤフーがグーグルを育てた!

ネットスケープ社のサーバーに、検索サービスを提供したのが、Yahoo社である。
また、Yahoo!社に検索エンジンとして採用されたのが、Google社である。
Google社に、Bloggerというサービスを売却したのが、後にTwitter社を起こすエヴァン・ウィリアムズである。
Google社のサービスを積極的に取り入れ、役員にGoogle CEOのエリック・シュミットを招き入れたのはAppleである。
AdobeのポストスクリプトによってDTP戦略で成功したのがAppleのMacintoshである。
AppleがiPhoneでAdobeのFlash採用を拒絶し、Google Map、YouTubeを拒絶している。
AndroidでもiOSでも、すでにtwitter連携やfacebook連携は当たり前になりつつある。
しかし、またそこから、敵に塩を送ることになっていることは百も承知だ。
また、2012年10月04日、facebookユーザー数10億人(モバイル利用が6億人)、世界人口の1/7を占める。この世界最大のプラットフォームも新たなライバルを成長させる土壌となることだろう。
シリコンバレーの裏切りの歴史と親殺しの歴史はこれからも続く。
いや、これは、シリコンバレーの生態系のひとつの成長と捉えたほうが良い。
ライバルを育ててしまうという環境の生態系でシリコンバレーは構成されているからだ。