オープンソースなドラえもん

ネットの宇宙の中には、いろんな世界が広がっている。すでに、世界中のすべてのWebをかけめぐるには、3か月間かかるといわれている(The Internet Archive関係者談)。その広大なコンテンツの宇宙の中には、権利関係は、さておき不朽の名作が存在している。

ネットの宇宙の中には、いろんな世界が広がっている。すでに、世界中のすべてのWebをかけめぐるには、3か月間かかるといわれている(The Internet Archive関係者談)。その広大なコンテンツの宇宙の中には、権利関係は、さておき不朽の名作が存在している。

「ドラえもん」の最終回なる話があるらしい。そういえば、藤子不二雄氏の作品には、「オバQ」も「ジャングル黒べえ」も「ウメ星デンカ」も、すべて家庭内居候系の物語が非常に多い。その中でも一番、人気なのは、いつものび太を助けてくれる「ドラえもん」だろう。

「ドラえもん最終回」
テキスト版
http://hisahisa.net/warai/dora1.htm
Flash版
http://seia318.hp.infoseek.co.jp/005_108.htm

実際のドラえもんの最終回はこちら
http://www17.big.or.jp/%7Eyonenet/fujiko2/saisyu/dora1.html
であるが、勝手に創作された本家でないドラえもんのほうがいいストーリーである。

権利関係の問題はさておき、本気でウルウルしてしまった。これは、本当にこの創作編での映画を見たいと思った。せち辛く、夢のない時代に、このような全国民的なアイドルの危機を救う「希望と目標」のおかげでのび太の将来が活かされるというのは、ありかもしれない。

何かをなし得たい、やり遂げたいとの思いが、自分の未来を切り開いていくという純粋なストーリーは、今の子供たちに一番必要なことなのかもしれない。

「今のままの状態ではデータは消えないこと、ドラえもんの設計者は、設計者の意向で明かされていない(超重要極秘事項)ので連絡して助けてもらうことは不可能であるという、これはとっても不思議で特異な規約でありました。ただ修理及び改造は自由であることもこの規約に記されていました」。

ドラえもんは、オープンソース的に開発されたという流れのようだ。オープンソースだから、のび太が、ドラえもんが蘇えらせることができたというのもいいストーリー展開だと思う。

誰かが独占したから科学が進化したのではなく、誰かの努力の上に、誰かがイノベーションを起こし、経済社会と結びつき、科学は常に進化を遂げてきた。権利関係を主張するだけでなく、権利を守り、より発展できた上でのライセンス共有がありかと思う。この創作は、このようなオープンソース社会をも示唆しているような気がする。

ダークサイドに埋もれている才能をも引き出せるのもインターネットの世界だ。昨日まで普通の人が、ネットで急遽、有名人になるチャンスを秘めている。ある意味、「完全なるメディア」である。自己表現の場としての意味もある。

現在は、テレビやラジオ、新聞、雑誌がメディアとして、考えられているが、近い将来、再現性の乏しいメディアよりも、検索して抽出できるメディアとしてのインターネットのほうが、利用頻度が増えていくことだろう。広告にしても検索で新たな価値を見出すことになるだろう。

現在も指数関数的に増殖するネットの世界から、幾多ものすばらしいコンテンツが生み出されている。才能を自社の利権のために潰してしまうのではなく、良いものは取り入れて新しい価値を生み出す努力が必要ではないだろうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です