リーランド・スタンフォードの馬の賭け話しから、映画産業が生まれた

スタンフォード大学を創設した鉄道王のリーランド・スタンフォードは、いろんな産業の発展に貢献している。

なんといっても、ゴールドラッシュ時(1844年)に荒稼ぎしたリーバイ・ストラウス(リーバイス創始者)同様に、金を掘る人のための雑貨賞で利益を作り、カリフォルニア州の知事となり、大陸横断鉄道においては、債権を発明し、投資銀行を作り、完成前に利益を生んでいる。
ゴールドラッシュ時に稼いだリーランド・スタンフォード

そんなリーランド・スタンフォードのユニークの功績が、馬がギャロップする時には空中に浮いているかどうか?ということで友人と2万5000ドルの賭けをしたのだ。

当時それを肉眼で証明できなかったので、
1872年スタンフォードは、新産業である写真のプロフェッショナルであったエドワード・マイブリッジに2000ドルで撮影を依頼した。結局5年と5,000ドルを費やし、
1877年、マイブリッジは自作のカメラで疾走する馬の連続写真の撮影を成功させた。

馬は見事に、その瞬間すべての足は地面から離れていたのだ。その連続写真はスタンフォードの賭けよりももっとすごいことに影響を与える。

1877年 プラキシノスコープ Praxinoscope
フランスのエミール・レイノーが発明した。

マイブリッジのアニメーション、ズープラシスコープ Zoopraxiscope

1879年、マイブリッジは、さらにその馬の撮影を進化させ、当時の技術である、「ゾエトロープ(回転のぞき絵)」や「プラキシノスコープ」と「幻灯機magic lantern」、を組み合わせて、「ズープラシスコープZoopraxiscope」を発明する。

まさにこれはレコード盤の上に描かれたアニメーションであった。…といってもまだレコード盤は発明されていない…。
なんといっても、ディスクを変えれば何パターンも視聴できるというアニメーションのコンテンツ流通の始祖であった。

そして、8年後の
1887年 エミール・ベルリナーが、レコードを発明するのだ。レコード版の発明には、エジソンの蓄音機だけでなく、マイブリッジのズープラシスコープが多大な影響を与えていると考えても不思議ではない。

1888年 フランスのルイ・ル・プランがコダックのジョージ・イーストマンの紙フィルムを使い映画を発明する。

1889年、フランスのレイノーは「テアトル・オプティーク」という投射式のプラキシノスコープを開発する。

そして、これらにもっとも影響を受けた人がエジソンであり、ウィリアム・ディクソンであった。
彼らは、
1889年に「キネトスコープ」を発明し、1991年には、パーラー(ゲームセンター)形式での上映モデルを創る。

https://www.youtube.com/watch?v=GWhaoGgP5cE

1895年にフランスのリュミエール兄弟は、「テアトル・オプティーク」と「キネトスコープ」の流れから「シネマトグラフ」を発明する。
ここからさらに映画産業は熾烈な争いの中で大きな産業へと成長する。

19世紀のこの時代、ひとつの技術は、特許というビジネスで守られながら、まったく別なビジネスとして続々と20世紀の巨大メディアを創造していく。