EUの歴史をちょっとふりかえった学習ノート イギリスのEU離脱でどうなるのか?

52パーセント対48パーセントは、僅差の離脱決定

2016年6月24日 金曜日

イギリスがEU離脱の国民投票を終え、僅差でEU離脱が決定してしまった。
まさかのEU離脱にショックを隠し切れない。

欧州地域がパスポート関係なく、自由に行き来でき、雇用も保障もついてくるならば富める国に集中するのは当然。
それ以上のメリットがあったから欧州連合EUの価値があった。
しかし、先進国が金銭的な負担ばかり増えて、自国の雇用が他国の移民によって奪われだしたら、離脱を考えて当然ということとなる。

さくっと歴史的な流れを眺めてみると、EUの道までは、戦争をおこさないための連携であったことがよくわかる。
過去の歴史でずっと争いをつづけてきたヨーロッパ。EU離脱は、過去の過ちをひきおこしかねないことを予見させてくれる。

これから2年かけてEU離脱の手続きが始まる。その間に世界はどう動くのか?

英国EU離脱は、英国の終わり、欧州の衰退、世界の停滞をもたらす
英国の国民投票は、EU離脱支持が残留支持を上回り、今後2年をかけて離脱することが決まった。ただし、政治的に、これをもう一度やり直すという可能性もないとは言えず、100%決定ではないが、95%は離脱決定と考えていいだろう。では、離脱となると、今後の世界はどうなるか。

まず、英国経済は終わりである。
http://www.newsweekjapan.jp/obata/2016/06/eu.php

 


2016年6月25日ウェークアップ!ぷらすより
http://www.ytv.co.jp/wakeup/news.php?d=20160625&n=1

1945年以前
❏ローマ帝国東ローマ帝国フランク王国神聖ローマ帝国オスマン帝国フランス第一帝政ナチス・ドイツといった武力を背景とした帝国のもとに統一
❏ヨーロッパ域内において平和的な合同体として、ポーランド・リトアニア共和国オーストリア=ハンガリー帝国のように国家規模での同盟よりも結合性の小さい君主連合という形も用いられた

第二次世界大戦後の反省からの欧州共同体体制

1945年以降

❏1939年から1945年まで続いた第二次世界大戦は、ヨーロッパに甚大な人的、経済的損失を残した

ドイツがふたたび平和を脅かさないようにするために、ドイツの重工業が一部解体され、また石炭の主産出地であるザールラントシュレージエンが分離されたり、ルール地方が国際管理下に置かれた

❏1946年にウィンストン・チャーチルヨーロッパ合衆国構想を唱えたことは反響を呼び、1949年には初の汎ヨーロッパ機関である欧州評議会が設立

シューマン宣言
1950年5月9日、フランス外相ロベール・シューマンはヨーロッパの石炭と鉄鋼という、戦争で用いられる兵器の製造に欠かせない2つの素材に関する産業を統合することを目的とした共同体の設立を趣旨とする、いわゆるシューマン宣言を発した

❏欧州石炭鉄鋼共同体European Coal and Steel Community、略称:ECSC
1951年にフランスイタリアベルギーオランダルクセンブルク西ドイツ欧州石炭鉄鋼共同体(おうしゅうせきたんてっこうきょうどうたい、英語:European Coal and Steel Community、略称:ECSCを設立するパリ条約に署名

❏欧州石炭鉄鋼共同体ECSCの発足で設置された最高機関と共同総会は、それぞれのちに欧州委員会欧州議会となる

https://ja.wikipedia.org/wiki/欧州石炭鉄鋼共同体

 

❏1957年には参加国間で関税同盟の開拓を担った欧州経済共同体(European Economic Community、略称:EEC)と、ヨーロッパの原子力エネルギー部門の統合を狙った欧州原子力共同体EURATOM (European Atomic Energy Community )の設立をうたったローマ条約が署名

❏1965年に3つの共同体の間で運営機関を統合することで合意に至ったことで統合条約ブリュッセルで署名

欧州共同体 European Community, ECの誕生

❏1967年7月1日欧州共同体ECと呼ばれる体制が発足した

❏同一の機構で運営されてきたヨーロッパの3つの共同体である、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(Euratom)の総称。

3つの共同体は1967年から運営機関が同一のものとなり、冷戦期において西側経済圏を代表する国際機構の一つとなった。

 


❏1973年 デンマーク、アイルランド、そしてイギリスはようやく欧州諸共同体への加盟
❏1981年 第2次拡大として、申請から6年を経たギリシャが加盟する。
❏1985年 デンマークから自治権を得たグリーンランドが住民投票で共同体からの離脱を決定する
❏1986年 第3次拡大で、1977年に申請していたスペインとポルトガルが加盟
❏1989年 東ヨーロッパ諸国の政変を受けてベルリンの壁が崩壊する。ドイツは再統一を果たし、旧東側諸国への共同体拡大
❏1992年 欧州連合条約が署名され、翌年に発効されたことで欧州連合が発足

欧州連合EU 発足

❏1993年11月1日、第3次ドロール委員会のもとで欧州連合条約が発効し、欧州共同体に加えて外交、内務の3つの柱体制を持つ欧州連合が発足

❏1994年4月30日、オーストリア、スウェーデン、フィンランドとの加盟、欧州自由貿易連合に参加するノルウェーアイスランドリヒテンシュタインとの間での協定の発効によって欧州経済領域を発足

❏1995年 シェンゲン協定が7か国の間で発効し、1996年末までにほぼすべての加盟国にまで拡大していった

❏1999年に単一通貨としてユーロが導入。これに先立って欧州中央銀行が設立されている。

❏2001年2月26日にニース条約が署名され、2003年2月1日に発効した。ニース条約は2004年に10か国が新規加盟するための準備

❏2002年1月1日、ユーロの紙幣硬貨の一般流通が開始。英国のみポンドのまま

❏2004年以降の東ヨーロッパの国々のEU加盟

❏2007年1月1日、ルーマニアブルガリアの加盟で第5次拡大が完了した。またこの年にはスロベニアが、2008年にはマルタキプロスが、2009年にはスロバキアがそれぞれ通貨をユーロに移行させた。ところが2008年にはユーロ圏が初めて景気後退に直面することになる

❏2009年12月1日に発効したリスボン条約によって欧州理事会議長が常任化され、外務・安全保障政策上級代表はその機能が大幅に拡張された。

❏ギリシャなど一部の国のデフォルトリスクが高まったことで、ユーロ圏各国の首脳らは資金を集められない国に対する支援策をまとめることで合意した。この危機は経済統合をさらに進めようという機運を高め、また欧州通貨基金や欧州連合の財務当局創設といった案が出されていった

❏移民流入という新たな問題
富める国への移民流入と仕事を奪われる自国民

これからのEU問題

❏EU離脱がテーマとなる各国総選挙

EUのネットワークが巨大化すればするほど、貧困国からの移民問題が富裕国側で問題になるという経緯を得てしまった。